指導していて感じたこと(文章産出)
教室内で「QNKS」という共通言語ができたことによって、文章の指導がとてもしやすくなった。今までは文章を書ききったあとでしか指導ができなかったのだが、QNKSがあると、「K」の段階、つまり文章構成図を各段階で指導をすることができる。構造的な指導は文章を書ききった後だと、文章を大幅に消したり書き直したりする必要があるため子どもたちも嫌がるのだが、本文を書かないKの段階で一度指導を入れることで構造的なフィードバックと推敲が非常にしやすくなった。
また、なかなか書き始められない子には「とりあえずNをしてみよう」とすることで書くべき情報が集まり、書き始めることができたり、推敲が苦手ですぐに書き終わってしまう子に対しては、自分の文章の「K」をもう一度書いてみて、と促すことで自分の文章構造に意識的にならせられたり、と幅広い段階の子どもたちへの指導にとても役立った。この種の有効性は、子供同士で支援や質問、交流などをするときにも現れており、子どもたちの中でQNKSという言葉を共通言語としてやり取りしている様子がよく見られた。
また、各過程が図的表現としてノートに外化されていることで躓いている子がどこでどのように躓いているのかが一目瞭然となり、教師としての指導や子どもたち同士のかかわり合いに非常に役に立った。
子どもたちはQNKSという概念を理解することによって、自分で文章を算出し、推敲するための知識が得られる。こうして手段を手渡すことができていると、より明確に「目的」に対する思考を促す事ができた。表現や論理構造を工夫するときには、必ず目的が必要だからである。「誰のための、何のための文章か」が明確にならないと、工夫のしようがない。よって必然的に文章の「目的」を意識させる機会が増える。これまでの作文指導では文章産出のための手段を指導しつつ、目的も意識させなければならなかったので、指導が焦点化されず、結果として、どちらも達成し得ない「書けばいいだけの活動」となっていたところが大幅に改善されたことが実感された。
「自主学習ノートでの取り組み」で紹介したように、子どもたちの探究的な思考もとてもよく刺激された。これは文章産出過程と問題解決過程や探究的思考過程との類似性を示唆する結果となった。実際に学習指導要領で紹介されている探究のサイクルは「」とされているが、QNKSととてもよく対応する。
QNKSが定義する思考過程 探究のプロセスが定義する思考過程
[Q]問いを立てる 課題の設定
[N](情報を)抜き出す 情報の収集
[K](集まった情報群を)組み立てる 整理分析
[Q](文章や図表に)整理する まとめ発表
このように文章産出過程として紹介したQNKSは探究的思考との類似する性質があり、実際に子どもたち自主学習ノートでは探究的思考にも活用されることとなった。
このような展開は、フラワーのモデルのように文章産出過程を精緻に表現したものでは起こりづらかったのではないかと考える。基本的に同じような認知プロセスだが、そのプロセスを「問いを持って抜き出し組み立て整理する」という平易な言葉で示すということは、その言葉が意味する具体的な活動を様々に想定できることになる。「使いやすさ」を目指した平易さは、習熟するにつれて、発展性へとつながったということである。
この点は #文章理解モデルとしてのQNKS実践 でも指摘したが、文章産出におけるQNKSという本稿の実践も、「文章を書く」という行為に関する #コントローラー を子どもたちに渡していると捉えることができる。その結果子どもたちは徐々に「自分で文章を書くことができる」ようになってくる。この自己コントロール感が子どもたちの主体性を強く刺激する様子が見られた。それは自主学習ノートの写真を見れば明らかであろう。子どもたちがQNKSを通して文章産出の方法を身につけるということは、子どもたちが文章を産出する主体となる、と言い換えられる。それ故に、子どもたちの「主体性」を刺激するのは必然だといえる。 本年度の実践において、子どもたちは文章理解のためにQNKSを活用してみることから始まり、文章産出のためにも活用するなかで、問題解決、探究的な思考にまでQNKSの考え方を適用し、活用していた。すると、指導者として今まで個別で捉えていた教科が、国語科も社会科も更には、道徳や学級会までも、それらは「対象を理解して、理解した内容を使って思考する活動を行う場所」としての抽象度で捉えられるようになった。この認識の拡大(もしくは抽象化)は、学習指導においてその指導の軸を立てる上で非常に有効に働いている感覚があった。教科や単元で学びが細切れになることはなく、それぞれが有機的に繋がっているイメージを持ちながら、指導をすることができるようになった。
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