分析の方法
分析は「気持ちや願望」を書く。
分析は工夫をしようと思えばいくらでも深められるのですが、それをいきなり入門期の子どもたちに求めるのは酷です。分析におけるはじめの指示は「丸付けの結果を受けてどんな気持ちになったか、どんな願望が出たか、ということを思ったままに文字にしましょう。」というだけでいいです。これは”書くためのハードルを下げる”という目的があるのはもちろんですが、それだけではありません。
けテぶれにおいて最も大切なのが「自分と向き合う」ということです。自分の気持ちや願いを感じ取って、そこを足場にしないと「自分なりの勉強法」を探求したり、学習者として自立したりすることはできません。自分の気持や願いを思ったままに文字にする、とは、「自分に向き合う」ための第一歩なのです。ここを大切にしないと、表面的でやればいいだけの学習から脱却することはできません。 自分の内側の声に耳を澄まし、思ったことを思ったままに書く。これはとても大切なことなのです。だから分析では「自分の思ったことをそのまま書きましょう」という。これは自分の心の声に耳を澄ませ、それを文字として捕まえる大切な時間です。けテぶれタイムは単に学力を上げるためだけの時間ではなく、「自立した学習者に向かうための時間」なのです。だからこの分析は100点だから書かなくていいというわけではありません。100点を取れたこには、100点だったときの自分の気持ちやその時心に浮かんだ願望を意識させ、文字として捕まえましょうと言います。
また、分析の導入における指示は、「テストをする前の気持ちや願望を書きましょう。」と言い換えることで、そのまま「計画」のときにも使えます。計画でも気持ちを書いておけば、その記述との対比しながら「分析」のときの気持ちを書くことができます。「計画:全問正解できるように頑張る。」「分析:全問正解できた。最高に嬉しい!」といった具合ですね。「テスト」は決められた範囲をこなすだけですが、その前後に自分の気持ちを意識するというだけで、「自己コントロール感」が高まります。このような小さな取り組みから「学びを自分ごとにする」感覚を育てていきます。
気持ちや願望→意思→具体的な行動案
素直な感情についての記述は、回数を重ねていくと、徐々に毎日の取り組みが意識の中で接続されていきます。「いつも〇〇だから、こうしたい」とか「ついに〇〇ができるようになった!」とか、そういう記述ですね。今の自分を見つめ続ければ、自分の変化も敏感に感じ取ることができるようになります。こういうことが感じられたときにまた、学びが自分ごとになっていくのです。
さらに毎日毎授業で「けテぶれタイム」をとれば、それだけ「自己学習」の経験値が上がっていきますので、必然的に計画や分析の内容も徐々に具体的になっていきます。抽象的で情緒的な記述が、具体的で理性的な記述になっていくのですね。さらにそれを積み重ねれば、感情的な記述と理性的な記述の効能がわかってきますので、”今”の自分に必要な方を選択したり組み合わせたりすることも可能になります。全ては「けテぶれ」の対象なのです。
マインドセットを育てよう
この分析場面では「テストの結果をどう解釈するか」という自己学習における大切なマインドセットを育てる場面でもあります。ここには多様なマインドセットが含まれますが、導入期にもっとも強調するべきなのは「失敗の原因を勉強の方法に求める」という考え方だと思っています。テストで悪い点をとってしまったとき、”自分は頭が悪いから点数が悪い”と、その原因を自分の「能力」にもとめてしまえば、やる気が無くなってしまいますよね。そうではなく”自分の勉強の方法が悪かったから、結果が悪かったのだ”となれば改善の余地があります。
テストの点がよかったときも同様です。100点だったのは俺様が天才だからだ!とするのも、とっても前向きで素敵ですが、それとともに自分のどんな方法が結果に結びついたのか、ということを考えると、「自分なりの勉強法」を作っていく際の有力な情報を得ることができます。自分の必勝勉強法を作ろう!という感じですね。
そしてこのとき「勉強の方法」が「計画、テスト、分析、練習」と4分割されていれば「テストはちゃんとやれていたかな?」「もっといい練習の方法はないかな?」などと分析的に考えることができます。(前提として、勉強を”自分でやった”から分析する価値があるのです。先生に言われるがままにやった勉強はいくら振り返ったところで、先生に言われたとおりにやったかやらなかったかという程度の振り返りしかできません)