義務論
行為や意図が義務に叶っているかどうかを判断基準とする
義務は「〜すべし」「〜すべからず」といった形で与えられる
義務にかなう行為は正しく、反する行為は正しくない
意図を重視する
何をすべきかがわかりやすい
功利主義のような幸福の計算が、行為の前に必要ではない 義務論の代表選手
純粋に義務を果たすという意図の元になされる行為のみが正しい
利益を考えてはならない
「〇〇をするのは義務だから」という理由による行為のみが認められる
カントはこの世で究極的に価値のあるものは「善い意志」だけであると考えた
他のもの、たとえば幸福といった概念やお金は邪悪な意志を持ってすれば悪用できるから、と考えた
義務の内容はどうするか
人格とは理性的存在のこと
自分の理性を使って何をすべきか考え、そうやって得た結論に自分を従わせることができる能力をもつ存在
その能力を自律ともいう
人格には尊厳というものが備わっており、それに敬意を払うことを義務とした
人格の尊重の義務
カント「他の人格を目的自体として扱え」
尊厳とは
むずかしい概念
単なるもの・手段として扱ってはいけない、という意味も含まれる
道具にしてはいけない
騙すことや盗むことはこれに反する
大多数の幸福のために少数の人を道具として扱っているのでアウト
単なる、とついている意味
たとえば取引はお互いを道具として扱うことにもなりうるが、相手を目的としていることにもなるので、「単なる手段」ではないためセーフ
動物に対して
カントの時代は動物が苦痛を感じるのか、といったことはわかっていなかった
動物が理性を持つのかどうかは不明
動物は人間に敬意を持って接するための練習の場として優しく接するべき
動物に残酷に接っしていると人間にもそのように接するようになると考えた
prime facie duties
W.D.ロス
1930年代に展開
カントは「人格の尊重」という単一のものに義務の源泉があると考えたが、ロスは複数のものが義務になり得るとした
もちろん実際の行為する段において義務同士がぶつかるような場合は、調停が必要
一見自明な義務と実際の義務
一見自明
直観的に義務になり得そうだと感じるもの
一覧
約束を守る
危害への償い
謝礼
正義
博愛
自己開発
害をなさない
実際の義務
よくよく考えた時になすべきだと考えられるもの
一見自明の義務からどれかを選ぶことになる
しかしどのように考えたらいいのか明らかではない
義務論に関する問い
何を義務とするか?
複数の義務がぶつかった時はどうするか?
義務がまだないような新しい分野での問題はどうするか?
今義務として捉えられているが、実際は理不尽なものにはどのようにするか?