日常の「やらなければならないこと」をこなすなかで生まれる「感情のちょっとしたパルス」にアンテナを立てておけば疑問は意外と身近なところでみつかる。
さて、あらためてこの事例から私が伝えたかったことは、自分が追いかけたい「疑問」は、意外と目の前にある、ということです。
無理して遠くを見つめなくても良いし、キョロキョロする必要もない。目の前に降り積もる「やらなくてはならないこと」をこなしているうちに不意に訪れる怒りや驚き、悲しみといった強い感情の裏側に、疑問は落ちているかもしれないのです。
そこに疑問を発見できれば、私たちは仕事をしながら、自由研究的に独学に励むことができます。
独学の素地はすでに誰にでもある
だから、それが「ある」ことに「気づく」ことが大事
というのがあると思う。
そして、僕はそこにとても共感する。
自分に気づくというのは、いわばマインドフルネス的な行為だから、本書の冒頭で述べられているように、「学び方」が「生き方」に接続していく。 そうか、本書を読み終わった時に素直に感じたこの感想↓は、「生き方」に言及しているからこその味わい深さと、それに対する好感だったのかも。
企業人事として、
「人材育成」と口にすることが、「学びを何かの手段に矮小化する」ことにつながるかもしれない、という注意深さは持ち続けたい
一方で、「学び方」≒「生き方」だからといって、企業が個人の「生き方」をどうこうできる/すべきと考えることのおこがましさにも自覚的でありたい
それでもやっぱり、ひとりひとりが「学ぶ」という行為のイメージを広く柔らかく持って、「学び方」≒「生き方」であると捉え直してくれることは、最後の最後でやっぱり個人にとっても企業にとってもプラスになると信じてる
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