『中小企業の人材開発|中原淳/保田江美』
中小企業の人材開発
Highlights & Notes
日本型雇用の段階的な見直しと成果主義の徹底は日本企業の「職場」(3) に意図せぬ変化をもたらした.とりわけ,この時期に顕著になったとされているのは,1)職場の人員が削減され多忙化が進み,部下にフィードバックを行う人材が不足する,2)短期間で成果を出すために「仕事のできる人」に業務が集中するなどの変化が生まれたことである(労働政策研究・研修機構 2006).また,同時期には,組織のフラット化が進行し,管理職や管理職補佐等の人員が削減されたこと,ヘッドカウント(採用可能数) に対する意識が高まったことからマネジャーや指導員役の従業員が多忙を極め,部下指導の時間的余裕がなくなったともいわれている(白石 2010,中原・金井 2009).
しかしよく考えてみれば,OJTとOFF-JTという言葉は学習が生起する時空間によって人材開発のあり方を単純に「分節化」しているだけであって,そこにどのような「学習のメカニズム」が駆動しているかは一切説明しない(中原 2012b).OJTやOFF-JTという用語は「理論」ではなく「分類」である.よってこれらをそれぞれ高度化しようとする際にはさらにミクロに分析する理論的視点が必要になる.そこでどのような学習のメカニズムが駆動しているかを把握することで私たちは外的にこれらのメカニズムに働きかけ,効果の高い人材開発を行うことができる.
経験学習論が,業務能力の向上における挑戦的な業務経験とその振り返りに焦点を合わせ,それを学習のメカニズムとするのであれば,職場学習論は職場のメンバーからの関わり,支援,対話等によって,人がいかに熟達し,いかに業務能力を高めていくかに焦点を合わせる(中原 2014a).
まず,1)研究対象へのアプローチの困難さである. 通常,経営学の研究者が現場からデータを取得して実証的な研究を行おうとする場合,まず考えなくてはならないのは「いかに現場のステークホルダーを説得して,データを取得するか」である.質問紙調査を実施するにしてもヒアリングを行うにしても,「現場のデータ」を取得するためには現場の管理職や従業員の理解と同意を得る必要がある.また,通常は研究者が現場に居続けることはできないため,人事部や経営企画部に所属し,しかるべき専門的知識を有し,かつ研究の意義を理解している個人にデータの取りまとめを委任しなければならない. 大企業であれば,経営者の理解を得ることができれば,これらの作業を職場において代行してくれる人材を手配してもらうことはそう困難なことではない.なぜなら,大企業には知的生産やR&D(研究開発) を業務としている専門人材が存在している可能性があり,また,職場にはそれなりの人材リソースが存在しているからである.しかし,経験上,中小企業ではこのリソースの確保が非常に困難であることが多い.研究に余剰コストをかけることに経営的困難を伴うという事情もあるが,専門知識を有し,かつ研究の意義を理解してくれる人材を手配してもらうことは端的に難しいのである.ここに,中小企業の研究がなかなか進まない一因がある.
次に,2)論文知見の消費が大企業に偏在していることである.これに関してはデータのサンプリングの問題とが絡み合っている.まずデータのサンプリングであるが,多くの研究では「東証一部上場企業」や海外であれば「フォーチュン500企業」といった具合にデータのサンプリングを行う際に大企業を一括りにしたカテゴリーをもとにデータを取得する傾向がある. これは研究者の関心も,それらの論文知見を消費する読者の関心も,そうしたカテゴリーに収斂される大企業に集まりやすい傾向を有しているからである.研究者は一般に研究を企図する際,アカデミックインパクトとともにソーシャルインパクトもねらう.よって,どうしても研究をしようとすると中小企業よりも大企業の方を優先する傾向がある.
よく知られているように,中小企業研究においては長く「中小企業とは何か?」,「中小企業とはどのようなものなのか?」という問いに対する答えですら,研究者のなかで,認識の一致を見ることは非常にまれであった(清成 1990).中小企業とは「大企業に発展していくまでの未熟な組織形態」とみなされることもあったし,大企業には決して手をつけられないような社会的課題を解決するための革新的な組織として位置づけられることもあった,ということである.中小企業ほど,語りにくいものはない.
エフェクチュエーション」とは,計画主義に基づく経営を志向しない思考といえる.一般的な経営においては,事業計画を策定し,売上の達成目標を決め,人員配置計画をつくっていく目的主義・計画主義的な課題解決法式──「コーゼーション(因果律)」──に基づく思考形式がよしとされる傾向がある.しかし,起業家の持つ思考形式はこれとは異なる.むしろ,因果律や計画といったものとは無縁の発想で,「今あるもの」から価値創出をそのつど実践していくことがめざされている.
有効回答371社のデータを分析した結果,企業規模が大きくなるにつれ,採用リソースやスクリーニング手法が多様化すること,中小企業においてはOJTトレーニングが有力な研修方法として実施されていること,マネジメント層の研修を含むその他の研修等は企業規模が大きくなるにつれて実施数が増大していくこと,とりわけ規模の小さな企業では,一般従業員に対する教育よりも,管理者教育の方が出遅れることが明らかになった.
多くの場合,そうした発展途上の企業においては,「教育訓練に行く」ことが,企業が行う「公式な活動」というよりは,「従業員の個人的な活動」と考えられているからだという(Jones, Morris & Rockmore 1995).
このように階層構造のデータはグループ内のデータに相関がある可能性を有するという特徴を持つ.これを考慮せず分析を行った場合,第1種の過誤の確率が高まることが指摘されている.
また,私たちが中小企業において生じている諸現象を,人材開発の理論的概念によって把握しようとするとき,それらの対応も今ひとつ自明ではない.これまで中小企業の人材開発の様子が解明されたことはなかったので,ひとつひとつの概念がそれぞれの組織でいったい何を意味しているのかを確認していく必要がある.
本書において「職場」とは「業務における責任・目標・方針を共有し,業務を遂行するなかで実質的な社会的相互作用をともなっている課・部・支店などの集団」を指すものとする.職場とは「目標志向性」をもった集団であり,かつ「メンバー間に社会的相互作用」が存在することが重要な点である.
以下の語りのように多くの中小企業従業員から典型的に発話されるのは,経営者は中間管理職の育成の機能不全を嘆きつつも,経営者自身がそうした状況を生じさせた原因であるということ,また中小企業には,中間管理職を昇進させるときに適切にトランジション(役割移行) を支援する仕組みがないということである.
ちなみに,中小企業の人材が「個人商店」であるという喩えは中小企業の人材開発担当者によってよく語られる内容である.業務が個人に割り当てられ,とにかく業務をこなし,職場単位や組織単位で「育成する」という雰囲気がないときに,この喩えが用いられることが多い.
ひるがえってみれば,従来の議論ではともすれば「活用」と「探索」をトレードオフの関係とみなし,一方を立てれば,他方が立たないとしてきた経緯がある(March 1991,Levitt & March 1988).このトレードオフの関係を見直し,活用と探索の両立をめざす経営が模索されている.換言すれば,既存事業で短期的に収益性を確保しながら,中長期を見据えて新たな知識などを創出することを,同時に行えるのではないかという仮説こそ「両利きの経営」に他ならない(Duncan 1976).
ここからは推測の域を出ないが,中小企業の経営者が経営のフロントラインである管理職育成に課題感を持ち,それを重視するのは,経営者自らが「知識の活用」のみならず「知識の探索」にコミットするためには,彼らの業務を代行してくれる管理職のマネジメントスキルを強化する必要があるからとも解釈できる.
調査対象者が勤務する職場環境として,11.7%(97人) は先輩が1人もいない職場で業務をしており,73.7%(611人) は同じ年齢の同僚社員がおらず,また38.6%(320人) は後輩すらもいないことがわかった.
これらの大企業における諸知見を中小企業で鑑みた場合,最も顕著な違いは,職場における人員配置と,そこで営まれる社会的相互作用のヴァリエーションの豊富さであると容易に想像できる.
この問題に関しては,近年,人的資源管理研究の内部においても,それに関連する主張が行われている.例えば,Fombrun, Tichy & Devanna(1984) によれば,人事制度研究は,ともすれば全社レベルの人事戦略とパフォーマンスの単純相関・因果の解明に焦点があたり,そのあいだの媒介変数である職場などの社会的相互作用に関心を持ってこなかった,という反省を行っている.
近年の人材開発研究では,様々な組織調査でわかったデータをフィードバックし,現場の改善につなげるサーベイフィードバックやアクションリサーチが再び注目されている(中原 2020).すなわち「人材開発の領域固有性」を逆手にとり,その場に最もフィットしたデータを,現場の人々に返していき,現場の変革を導くという「人材開発研究知見の還元可能性」を高める取り組みである. 確かにそこで生み出される知見は,一般性や抽象性は低いかもしれないが,一方,現場に還元できる可能性(知見の現場還元可能性) は最も高いと推察される. 研究者によって自分たちの組織のデータ,諸特徴を示す数字が現場の人々にフィードバックされる.現場の人々が「当事者性」を持ち得るデータであるからこそ,そのデータに関心を持ち,現場の人々同士が対話し,新たなビジョンを構想する潜在力がある.筆者らは,ここにこそ,人材開発研究の未来を見る.そこには実践と研究の往還という理想が萌芽する可能性があるのではないか.
これらを敷衍して考えるのであれば,これまで人材開発研究は,データと統計的解析によって,客観的に,論理的に,より普遍的な一般化をめざして,多くの現場で機能する人材開発のメカニズムを探索してきた(中原 2012, 2018).その知的努力は,今後も継続される必要があることはいうまでもないが,今後は「人材開発の領域固有性」を逆手にとり,現場の人々に,現場に最もフィットしたデータや「中範囲の理論」をフィードバックし,場合によっては彼らとともに,現場の変革に寄与することも可能だろう.その地平には,彼らが生きる現場で,彼らに最もフィットした多義的なデータをともに解釈し,相互作用しあいながら現場の成果創出に貢献する未来が開ける. 「臨床的な人材開発研究」──ひいては人的資源の観点からの「臨床経営学」の構想──に私たちは希望を見る.この希望こそが,本書が模索した学問的貢献の結語である.
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