「Why」という問いには物事に深く潜っていく効果があるからこそ視野狭窄を生む可能性をはらんでいる
しかし、「Why」の問いは最初に意識しない方がいい、というのが私の持論です。
「Why」の問いを最初に追求すると、必然性のある学びしか目に入らなくなる危険性がある からです。
Whyという問いは、「なぜなぜ5回」というキャッチーな表現とともに、「最初に問うべき問い」「常に問うべき問い」として市民権を得ている。
Whyという問いは、ピラミッド・ストラクチャにおけるWhy So ?がわかりやすいように、物事に深く潜っていく効果がある。
だから、「問う」≒頭を回すという意味においては普遍的な効力がある。
一方で、「木も見て森も見る」「マクロとミクロの複眼」という観点からは、Whyという問いにはリスク/弱点があるとも言える。
深く掘り下げるからこそ、他が見えなくなる。
これ以外にあるWhyという問いの弊害はこちら。
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