最後のシーンの考察
台詞
私の血。分け与えた価値の回路。
理解しがたい矛盾のかたまりたちと、分かち合った価値の迷路
こんなものでは到底操れなかった者たち。
いつかまた会いに来るかな、私の可愛い可愛いたくさんの異形さん。
1000円を拾い上げるシーン
数ページ前まで怒濤のエロシーンが展開されており、地球にも帰れて、めでたしめでたし。といいたいところですが、結局2人の心は通じ合っていたのか?は謎のままです。子作りはしてますが、地球へ帰るための義務感からやってるともいえる(言えるか?)。
これに対して最初から(儀式)の時から通じ合っていたとわかるのがこのシーンです。通じ合っていたというとちょっと強いですが、2人が同じ善の心を持っていたとわかるシーンです
そもそも醜男がロリ美少女とセックスするという不可能状況なので、理性で突っ込んではいけない
p98ではなくしたといわれていた婚々の御札が奉納されたように描写し、p98ではくえん側に吹き出しを出さないことでくえんの願いがなんだったのかわからないようになってます したがって2人は同じことを願って儀式を成功したわけではないように印象づけられます
これが婚々の御札ではなく1000円札であったと明かすことで同じことを願っていたと再解釈されます ちなみに婚々の御札はどこにいったのかはわかりません 最後のくえんには必要ないものなのでCが回収したとも考えられるし、ほんとになくしたとも考えられるます 台詞の解釈
価値の回路と迷路で対になってます
回路が整然としてるイメージで迷路は混沌のイメージです
迷路については、「理解しがたい矛盾のかたまりたちと」と一緒に使われています。人類=矛盾のかたまりと分かち合った価値を何かは理解しやすいと思います
物語というのは一番ストレートだと思います。ただし餌としての物語ではないんではないかなと思います。これだと「分かちあった」ことにならない
p315の渡辺苗の披露した「人類とCをはじめとする神様との関係」の解釈をCは「嘘偽りなく」肯定しています。事実として物語は餌であったので肯定しているのでしょう。 ですがここでの力点は分かち合ったことにあります
分かち合うとはどういうことか?具体的にどういう状態を指すのかは不明ですがヒントとなるのは以下のシーンだと思います
p317、これは弘法大師の行動が理解できなかった=分かちあえなかったという表現だと思います p179では「話したいね。もう一回。話したい・・・・・・。」っといってます。p317で「・・・・・・・・・・・・」と口を噤んでしまったことへの後悔です この理解出来なくても語りあおうとする心が物語を分かち合うということなのではないでしょうか
(この出会って4兆年で合体という作品はCが語っているという体になってます) 前半部分の「私の血。分け与えた価値の回路。」
価値の迷路を対をなすものと考えると分け与えた価値の回路は合理的な存在
カセドラルが提供した価値=分け与えた価値の回路でしょう 回路というのが電子的なイメージを想起させます
私の血は情報のことだと思います
ごはんの神様で考察したようにCのような存在の本質は構造=非物質的なもの=情報だと思われます ここでいう情報とは知識という意味です
追記:
? 素直に私の血=ごはん=物語とした方が適切か?
でも物語はCから分け与えられたものではないよなと思ってしまう 「こんなもの」とは何か
1000円札のことだともいます
カセドラルが加速主義的な考え方をしていることを考えるとしっくりきます 到底操れなかった者たち
私の可愛い可愛いたくさんの異形さん
餌とそれを食べる者という関係の否定