3.2 積み木の使い道
哲学のナラデハ特徴の候補まとめ
①:既知のことをわかりなおしたい
②:直観を既知のデータとして扱う
③:人と直観を共有している(と思い込んでいる)
④:直観が真かどうかは問題にしない
⑤:反省と概念操作に慣れている(と自負している)
哲学者のうれしさ
②~⑤は他分野の人からすればかなりうさんくさく見えるかもしれないし、研究として成り立っていないように見えるかもしれないが、①のモチベーションを理解すれば、なぜ②~⑤のような態度になるのかがそれなりに納得できるのではないかと思う。
『ビデオゲームの美学』にそれぞれの特徴をあてはめれば、次のようになるだろう。
〈自分はゲームプレイヤーとしての経験や理解を直観として持っていて(②)、かつ、たいていのゲーマーであれば同じ経験や理解をおおよそ共有しているはず(③)〉というのが研究の出発点としてある。
そのうえで、その直観をより構造化したかたちで理解しなおしたいというモチベーションのもとで(①)、概念操作の専門家である自分(⑤)が仕事をする。
もちろん、ゲームをプレイしない人にとってはいまいち飲み込めないだろうが、それは問題ではない(④)。
『ビデオゲームの美学』が求めるうれしさは、ビデオゲームとそれに関わる諸現象が、明確に定義された汎用的なブロックを使ってきれいに組み立てられた構造体として理解しなおせることにある。
積み木の使い道?
哲学者のモチベーションはきれいな積み木を作ってうれしいというところにあるので、その使い道がどうのというのは興味の対象外と言っていいかもしれない。とはいえ、哲学的な研究は、他の分野にとってもそれなりの有用性を持ちうると思う。
いまのところ考えている使い道は大まかに2つの方向:
① 普通の理論研究としての使い道。
哲学者自身のモチベーションはともかく、出てきた理論は調査や実験のフレームワークとして利用できる。
② 経験的研究のモチベーターとしての使い道。
哲学者は直観にもとづいて理論を組み立てるが、その直観が本当なのか、その理論は事柄の本性をとらえているのか、といった問いは普通にありえる(哲学者自身はそれに興味を持たないとしても)。
なので、哲学者の議論を踏み台にして経験的な研究を進めるという方向があるのではないか。
おわり