自己参照のパラドックス
@kenn
数理論理学の世界で「自己参照のパラドックス」と呼ばれているものと関係している
「ランダムネス(乱数性)」には、実は情報理論上の定義がある
「そのランダムな数列を再現できる、より短い表現が存在しないこと」
圧縮不可能
表現というのは、アルゴリズムと解釈してもいいし、プログラムとしてもいい。
数学の本質は「抽象化」
「モノに名前をつけること」
「モノに対する操作にも名前をつけてモノ化すること」
名前をつけられないモノは、人類の手に負えない。神の領域になるんじゃ。
例えば
プログラミングでも変数とか関数とかに名前をつけるであろう
円周率のπ = 3.1415... というのがあるな
あれは無限に続く数列で次に何が出てくるかは読めない
その意味では乱数っぽい
πというのは実は「円周率を出力する圧縮アルゴリズム」の名前
円周率を求めるアルゴリズムというのはあって、それを適用すれば厳格に再現できる
全ビットの順列組み合わせが使い果たされているとき、それより短いビット数で対応関係を与えることはできぬ。
これは言い換えれば、8ビットで表現可能な全ての数字を4ビットでは表現できない、みたいな、当たり前のことを言っている
コンピューターのプログラムとして表現可能なアルゴリズムで乱数を生み出すことは「原理的にできない」ということを意味する。
例えば、バベルの図書館にある本は、圧縮できない。
これらの本には「題名=名前」をつけることができない。
これらの本のどれか1冊をピンポイントで指し示すためには、その全文を読み上げるしかない。
ある1冊に何でもいいから名前をつけようと思うと、「その名前と全く同じ内容」の別の本が必ず存在して、ぶつかってしまう
1文字でも読み間違えたら他の本になってしまうので、410ページの最初から最後まで1字も残さず、きっちり読み上げないと正しく「この本」と指し示すことができない。
「本に名前をつけられない」の部分で引っかかる人が多いみたいじゃな。
aaからzzまで、アルファベット2文字で書かれた本が26^2 = 676冊ある
これらに、同じアルファベットa-zを使って重複なくタイトルをつけてみ。
そのタイトルの平均長を本文の長さ2より短くすることは不可能、ということじゃ。
数学の限界を数学的に証明したみたいな話じゃが、これは実際、チューリングの停止性問題やゲーデルの不完全性定理と等価な命題であることがわかっておる。
数学の世界ではたびたび「無限」の取り扱いが問題になるが、この話が恐ろしいのは「有限」の世界でも起きるということじゃ。
25^1312000のことを「ボルヘス数」と呼ぶが、これは巨大な数字ではあっても無限ではない。なのに、どうやっても名前をつけられない。人類の接近を拒むもの。
奇妙にも「完全なランダム性」というものを突き詰めると、一切バイアスのない、のっぺりした世界が現れる。
000 / 001 / 010 / 011 / 100 / 101 / 110 / 111 を重ね合わせると 4-4-4 になる。いわゆるホワイトノイズじゃな。
裏を返すと、情報の「偏り」がこの世界の多様性を作り出している。
ここで思い出して欲しいのが、ボルツマンがエントロピーについて語った「私たちの視界はぼやけている」という言葉じゃ。
この不可逆性を「時間の矢」として認識する我々は、視力が悪いのだと
落として割れて粉々になったグラスはもとに戻らない
ヘプタポッドには過去も未来も同時に見えている。
だんだん脱線してきたので、今日はこのへんにしておこう。
あとは自分でカリー=ハワード同型対応、チャイティンのオメガについて予習しておくようにな。次までの宿題じゃぞ。
Kenn Ejima's answer to "What is the mathematical formula for finding random numbers?"
https://t.co/5C2eK9SnRW
ここまで付き合ってくれたお主には、大昔にこのネタで書いた「白紙のコンピューター文学」という、新潮に掲載された短編小説があるので公開してしまおう。バックナンバーはもう入手不可かね。
青臭い文体じゃがまぁいいじゃろう。
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