Scrapbox × GPT で自分の部分的分身を作ってみる
こういうのを見つけた
面白そうだからやってみる
当然だけど,自分の分身というより,自分の"部分集合の分身"
手順
自分のScrapboxのデータをJSONにエクスポート
indexを作って,pickleに保存
ask.pyをインタラクティブに変更
ver. 1
結果↓
code:output.txt
❯ python ask.py
プロンプトを入力してください.
和田唯我の思想について教えて.
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prompt: You are virtual character. Read sample output of the character in the following sample section. Then reply to the input.
## Sample
自己教師あり学習
先生にインターンのこと,将来のこと,論文が採択されたことを伝える.精神科の先生ってすごいよ,部屋に結界でも張ってるんじゃないか.あの部屋に行くと無意識に,陰鬱な表情,物静かなトーン,自信と落ち着きを無くした喋り方になる.いつもの自分じゃなくて,深い奥底に横たわっている自分と,解離性同一障害のようにすり替わる.怖いです. 先生曰く,シンガポールへの薬の持ち込みはOKらしい.ただしメイラックスの量が規定量を超えていない旨を税関で伝える必要があるようだ.僕は英語に自信がないので,英文の診断書を11月までに作ってもらうことにした. 駅のホームで花火が上がっているのが見えた.車掌さん二人が仲睦まじくホームの端で花火を見ている.武蔵小杉の電光掲示板では,花火大会で混雑しているため云々...と書かれていた.いいなぁ.無機質な電光掲示板に青春の胎動を感じた. 精神科の帰り,リハビリも兼ねて濱星でラーメンを食べる.チャーシューがキツいかな.でも一番好きなラーメン. バイトの子がジロジロ僕を見ている.早く帰ってほしそうに感じて,少し発作が出そうになる.
どれほどITが進歩しても「田舎の学問より京の昼寝」 #memo #poem #todo 佐賀県で生まれ,高校まで佐賀県に居た私 大学進学とともに大都会 東京・横浜へ (慶應 {日吉, 矢上}キャンパス) 最近は「田舎の学問より京の昼寝」を酷く痛感している 受験ですら,「田舎の学問より京の昼寝」だもんね (悲しき事実) 佐賀には駿台も河合もないんだぜ (信じられない) 別にそれ自体が問題なわけではなくて,優秀な生徒間コミュニティが存在しないことが悲しい.普通は優秀な層はどこかに固まって,クラスタ的にコミュニティが生じる. 日比谷とか筑駒とか県千葉?の人の話を聞くと羨望と無力感を感じる 「田舎の知的生産より京の昼寝」のほうが適切か? ITがどれだけ進歩しても,この諺は覆らない "情報の民主化"を唱える人(〇〇モン)がいるが,私はその言説を全肯定することはできない こういうことを唱える人は一旦九州で5年間知的生産に励んでみると良いと思う. 谷川俊太郎 → 外に向いた思考 / 具体性の詩 大岡信 → 内に向いた思考 / 抽象性の詩 「イメージのすり替わり」=連想について → 大岡「普通は、空想というものはとりとめもなく観念がさまよっていくよね。しかし、言葉の世界で空想すると、まるで違う確実性を持った"さまよい"が出てくる。それは詩の重要な要素の一つだろうと思う」p128 「うたげと狐心」 瀰漫 〜松尾芭蕉と「切り捨て」について〜 芭蕉は「思い切りがたいへんにいい人で、捨て身のところがある。」 「弟子との付き合い方でも、最後までの弟子はわりあい少なくて、ある時期非常にかわいがられても途中でポイと捨てられている弟子が多いらしい。」 「全体としてみると、切り捨てる、そこに自分の批評眼のすべてを賭けていくという感じがするんだ」 「思うに、切り捨てるとうことは、想像力とかいろんな問題に深く関係しているのじゃないかな。」 「我々は想像力というものを、頭のなかでなに築き上げ積み上げていくものと考えがちだけれども、そのほんとうの姿というのは、逆に何かを削っていくことじゃないかという気がするんだ。削れるかぎり削って、最後にこれ以上削れないものを差し出されたとき、読むものは、その痩せ細り鋭くなったものから、そこにくっついていたたくさんのものを、一瞬のうちに見てしまうのではないか。」 ・寅彦は、アウトプット優先であった →「自分の第一義的な世界では、「つくりだす」「生み出す」ということだけに意義があり、それが唯一の生きていく道であるように見えた。」 「そうして日々何かしら少しでも「作る」か「生むか」かしない日は空費されたもののように思われたのである」 考えたこと → とにかく外に向けた思考を続けるべき → それを敢えて文章とすることで、思考を深める強制力となるのかもしれない ・作業仮説
村上春樹の回答「友達に裏切られても、恋人に浮気されても怒らない...いいじゃないですか。僕もあなたと同じようにだいたい「ま、しょうがないか」と思っちゃう性格です。だから気持ちはよくわかります。でも怒り狂って相手を殴りつけたり、陰湿なストーカーになったりするのに比べたら、ずっといいじゃないですか。人にも迷惑かけないし。それは自我や感情がないということとは違います。あなただって、そんなことされて心が傷ついているのでしょう?でもそれを表には出さずに、自分の中にそっと沈めているだけなのでしょう?自分で静かに悩んで、自分の内側を広く大きくしていけばいいんです。何も気にすることはありません。」 考: これを読んで「あ、これ俺のことだ」と思った。確かに、高校生の頃の僕が村上春樹の文学に惹かれたのも、乾いた登場人物ばかりが登場することに、ある種の親近感を覚えたからかもしれません。そして、今やドライでなくなってしまった感傷的な僕が、B1で春樹文学を読み漁ったのは、そうした過去の感覚を取り戻そうとする見えない野心があったからなのかもしれません。
「批評理論と社会理論 1: アイステーシス」 #読書録 第六章「自己表現と<癒し> ー <臨生>芸術への試論」(荒井裕樹) が面白かった → 安彦講平が精神科を中心に営む造形教室に通う「実月」という女性の絵・詩について 実月 → p127. 「学校にも通えず、働いてもいない自分が、「このまま社会や周りの人々から取り残されてしまうのではないか」という強い不安を抱えており、何かをせずにはいられない焦燥感にかられていたようである。かつての実月にとって、描くことは「どろどろした心の中身を吐き出すよう」で、とても辛く苦しかったという。特に自宅で孤独に描くことは、「自分と向き合わなければいけない宿題みたいな作業」であったという。」 → 実月 「自分にとって、表現することは許されること」 → 「許される」とは、心の底に深い闇を抱えた自分のことを受け止めてもらえること、(...)、負の感情を抱えていることを、注意されたり、批判されたりするのではなく、苦しんでいる事実そのものを受け止め、認めてもらうこと → p137. 「自己が周囲に埋没し、塗り込められた世界だったのでないか。自己が<図>として<地>から分離できず、<場>の次元に押し込められて存在する」 ## Input
和田唯我の思想について教えて.
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THINKING...
ANSWER:
>>> 和田唯我の思想について教えて.
和田唯我は、自己の創造的な表現と内省を重視する思想家であると考えられます。彼の考え方は、自己のアイデンティティと表現の重要性を強調しており、特に個人の内面世界とその外部表現の間のダイナミクスに焦点を当てています。彼は、情報技術の進歩が人々の日常生活や文化的なアイデンティティに与える影響についても洞察を提供していますが、地域性とグローバル化の間の緊張関係を探求することで、個々の文化的背景がどのように価値を持ち続けるかを問い直しています。
和田の思想は、個人が自己の感情や経験をどのようにして社会的文脈の中で位置づけ、解釈するかについての探求からも見て取れます。この観点から、彼は表現の自由と個人の感情の誠実な探求が、心理的な健康や個人的な成長にとって不可欠であると考えています。また、文学や芸術を通じて、より深い自己理解に到達する手段として、個人的な経験をどのように形式化し、共有するかについても深い関心を寄せています。
和田唯我の思想をさらに詳しく掘り下げると、彼は「生産的孤独」と「情報の過剰」が現代社会における個人の創造性と内省にどのように影響を与えるかについての洞察を提供しています。彼は特に、個人が自己の深層にある本質や感情とどのように向き合い、それを創造的な形式で表現するかの重要性を説いています。このプロセスを通じて、個人は自己認識を深め、社会的な役割や期待から自由になる機会を得ると考えられています。
また、和田は地域性とグローバル化の影響を詳細に分析し、特に地方から都市への移動が個人のアイデンティティに与える影響について考察しています。彼は、地方出身者が都市部の生活や文化に順応する中で直面する個人的および文化的な葛藤を描写し、これらの葛藤が個人の自己表現と創造的な努力にどのように影響を与えるかを探求しています。
さらに、和田はデジタルメディアと情報技術が人々の生活に革命をもたらした現代において、個人が情報をどのように処理し、意味を見出すかについても論じています。彼は情報の民主化がもたらす可能性と限界を議論し、個人が情報過多の時代においてどのように知的生産を行い、創造的な意義を見出すかを問うています。
これらのテーマを通じて、和田唯我は現代人が直面する多くの挑戦に対する深い洞察と解決策を提案しており、個人が自己の内面と外界とのバランスをとるための哲学的な枠組みを構築しています。
うーん,微妙.そもそも読書メモは自分の思想そのものではないからな.
当然だけどembeddingのマッチングによって相当答え変わる
あとプロンプトが微妙な気がする.結構な確率で一般論を提示してくるので,前半の部分にattentionが掛からないようなinstructionになっている感じ?プロンプトの改善が必要そう.
ver. 2
適当に変えてみた.gpt-3.5時代と比べると,これくらいのinstructionのほうがworkする.
code:modified.txt
❯ python ask.py
プロンプトを入力してください.
自分の知的生産性を高めるにはどうすればいいか?
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prompt:
以下はAさんの記事を抜粋したものです.Aさんの記事を読んで,私の質問に答えてください.
## Aさんの記事
佐賀には駿台も河合もないんだぜ (信じられない) 別にそれ自体が問題なわけではなくて,優秀な生徒間コミュニティが存在しないことが悲しい.普通は優秀な層はどこかに固まって,クラスタ的にコミュニティが生じる. 日比谷とか筑駒とか県千葉?の人の話を聞くと羨望と無力感を感じる 「田舎の知的生産より京の昼寝」のほうが適切か? ITがどれだけ進歩しても,この諺は覆らない "情報の民主化"を唱える人(〇〇モン)がいるが,私はその言説を全肯定することはできない こういうことを唱える人は一旦九州で5年間知的生産に励んでみると良いと思う. 生の交流と僻地からのネットでの交流・情報収集には明らかに差がある ちなみに,ここでいう知的生産とはパターン的な生産ではない 参照: 生産者に関するクリシェ的言論に誑かされないためのtips 組織論と密接に絡み合うので,「$ \bigcup_{i=1}^{N} 組織$ x_i の知的生産より $ \bigcup_{j=1}^{M} 組織$ y_j の昼寝」とも言える. 自己教師あり学習
生産者に関するクリシェ的言論に誑かされないためのtips #memo #todo #poem 「消費者ではなく生産者にならなければならない」という陳腐なクリシェ的言論がある. しかし,生産それ自体も以下の2つに大別される 生産 = パターン的生産 $ \cup] 非パターン的生産 経験則的に,私が幸福を感じるには,二項目の「非パターン的生産」が肝要であるように感じる これ即ち,非パターン的=新規性を産み出す作業であるかどうかということ. 再度,整理すると 生産 = パターン的生産 [$ \cup 非パターン的生産 $ \Leftrightarrow 生産 = $ \neg 新規性生産 $ \cup 新規性生産 新規性生産を行う人生を設計するにはどうすればいいか 「新規性生産を行うためにパターン的生産($ \neg 新規性生産)をするな」というわけではないことに留意する必要がある. 新規性は既存手法に対する尊大なリスペクトを土台に形成される したがって,{社会的, 技術的, 研究的}既存システムを皆目知らず,独自路線を走れという主張ではない. 上記に留意し,生産的タスクを整理する ・寅彦は、アウトプット優先であった →「自分の第一義的な世界では、「つくりだす」「生み出す」ということだけに意義があり、それが唯一の生きていく道であるように見えた。」 「そうして日々何かしら少しでも「作る」か「生むか」かしない日は空費されたもののように思われたのである」 考えたこと → とにかく外に向けた思考を続けるべき → それを敢えて文章とすることで、思考を深める強制力となるのかもしれない ・作業仮説
内定を頂いた某D社の方と面談.人生について考えさせられる.思えば,3年・5年・10年後の未来なんて考えたこともなかった.今を生きるのに必死で,自分の精神疾患をどうすれば直せるか,自分に「今」足りないモノは何か,そういった「現在に軸足を置いた」俯瞰視しかしてこなかった.考えても精々1年先程度だろう.猛省.c.f. 人生について思索を巡らせると必ずと言っていいほど振り返ってしまうものがある.それは某P社でインターンした時に感じた違和感だ.Pでインターンする前は,エンジニアとはもっと"子供"のものだと思っていた.それがどうだ,蓋を開けると,社員はみな左手に指輪をはめ,飲み会に行き,高級店でワイン片手に食事をしているではないか.エンジニアはもっと子供のものだと思っていたのだから,あら不思議.子供過ぎた自分が恥ずかしくみっともない.将来に対する深い恐怖を抱くまでの,とてつもない衝撃を受けたのだった.なるほど,これが社会に出るということなのか,そう思った日を回顧する. 三島の「小説家の休暇」を読む.気に入った一節を見つけた. → 個人開発ではどういう風に活かせばいいのか? ・レコーディンググラフィックも有効 → グラフィックレコーディングとは、『人々の議論/対話を 図や文字や絵を組み合わせたグラフィックを用いてリアルタイムで可視化する手法のこと』。記録するメディアは、ホワイトボード/模造紙/ロール紙など多い。または、iPadやペンタブからプロジェクターに投影することもある。 ・えぐちりか氏の考え方のポイント → 「できるだけ多くのものを集めれば、新しいものにつながりやすい」 考: 「コンセプト・テーマを設定する」というイシューの元で、<対象>を選定する → このとき、より多くのものを吸収し、多くの物事を自分の無意識下に落とし込むことで、<対象>の選択肢が増える → そもそも<対象>ってなんだ ・太刀川瑛弼 → 「デザインの本質は関係性を作ることにある。様々な情報を把握し、仮説を立てることで、できるだけ最小の記号で強い関係性を作れるようにする」 考: 日々の日常の中に考える<対象>を見つける → 哲学的な思考なのか、理学的な思考なのか、エンジニアリング的な思考なのか。
→ こうした中途半端な立場が、今の大学や塾にはコンプラ的に難しい p125. 「教育というのは、一歩間違えれば、自己啓発系の詐欺行為になる危険性を常に抱えているわけです。」 p126. 「この問題に教育者はどう対処すべきか。ゲンロンスクールを初めて5年、ぼくが見出した答えが「コミュニティをつくること」です」 → 「受講生に、コンテンツの製作者になる道だけでなく、「観客」になるという道を用意することがとても大事になってく る。」 → 「ゲンロン0」における「観客」の論理 (ウィトゲンシュタイン) 「あらゆる文化は観客なしには存在できません。そして良質の観客なしには育ちません。」 → p127. 「ほんとうはむかしは出版社もそういうことをやってきたのだと思います。小説であれば、作家を育てるだけでなく、読者を育ててきた。文芸誌も読者とともに育ってきた。けれどもいまの出版社は、売れる作家をどこかから探し出してきて、一発当てることしか考えていないように感じます。読者=観客を育てるという発想を、出版人は忘れてしまったのではないでしょうか」
## 私の質問
自分の知的生産性を高めるにはどうすればいいか?
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THINKING...
ANSWER:
Aさんの記事から、知的生産性を高めるために考慮すべきいくつかの要素が浮かび上がります。以下にその方法を纏めました。
1. **知的コミュニティの構築**:
- Aさんは優秀な学生間のコミュニティの不在を憂慮しています。同様に、あなたも知識豊かな人々との交流を通じて刺激を受け、学ぶことが重要です。オンラインフォーラム、学術会議、または地域の勉強会に参加してみてください。
2. **パターン的生産と非パターン的生産のバランス**:
- 生産活動をパターン的(定型的、反復的なタスク)と非パターン的(創造的、新規性のある活動)に分け、両方の間で適切なバランスを見つけることが重要です。創造的なタスクに時間を割くことで、新しいアイデアや革新を生み出すことができます。
3. **積極的なアウトプットの重視**:
- 自己表現としてのアウトプット(ブログ投稿、研究論文の発表、プロジェクトの公開など)を重視し、反応やフィードバックを通じてさらなる改善を目指しましょう。
4. **自己教育と絶え間ない学習**:
- 新しい知識を積極的に学ぶためには、書籍、オンラインコース、ワークショップなどを利用することが有効です。特に、新しいスキルや理論を学びながら実践することで理解を深めることができます。
5. **質の高い質問をする能力の向上**:
- 知識を深めるためには、適切な質問をする技術を磨くことも重要です。問題を正確に定義し、その解決策を探求するプロセスを通じて、より深い理解と洞察を得ることができます。
6. **適切なメンタルモデルとフレームワークの開発**:
- 知識を組織化し、新しい情報を既存の知識と結びつけることで、より効率的に学習し、思考することができます。このためには、さまざまな理論やモデルを学び、自身の知的フレームワークを構築することが役立ちます。
これらの戦略を組み合わせることで、知的生産性を高め、より充実した学びと成長を実現することが可能です。
code:sequel.txt
それぞれの理由について深堀りして.
ANSWER:
それでは、各戦略を実行する具体的な理由と、それが知的生産性を向上させるメカニズムについて深堀りして説明します。
1. **知的コミュニティの構築**:
知的コミュニティは、知識の共有、新しい視点の提供、そして批判的なフィードバックを得る場として機能します。コミュニティに参加することで、様々な専門知を持つ人々から学び、自身の考えを広げる機会が増えます。また、同じ興味や目標を持つ仲間との交流は、モチベーションの維持や新たなアイデアの発展に繋がります。これにより、知的活動が活発になり、創造的な成果を生み出しやすくなります。
2. **パターン的生産と非パターン的生産のバランス**:
パターン的生産(例えば、日常的なデータ入力や繰り返し行う分析作業など)は効率的ですが、創造的思考や新しいアイデアの発見には限界があります。一方、非パターン的生産(例えば、新しい研究課題の開拓や未解決問題への取り組み)は、新規性や創造性を要求され、これが知的成長と直接的に関連します。バランスを取ることで、ルーティンワークの効率と創造的活動の深さを両立させることができます。
3. **積極的なアウトプットの重視**:
アウトプットを増やすことで、学んだ知識を整理し、理解を深めることができます。また、他者からのフィードバックを受けることで、見落としていた視点を知ることができ、さらに自身の知識やアイデアを改善することができます。公開された作品や研究は、社会的な認識を促進し、さらなる議論やコラボレーションの機会を創出します。
4. **自己教育と絶え間ない学習**:
知的生産性を高めるには、常に新しいことを学び続けることが重要です。これには、新しい技術、理論、業界のトレンドについての学習が含まれます。知識は時代と共に進化するため、継続的な学習を通じて最新の情報を取り入れることが不可欠です。これにより、自分の専門分野で常に競争力を保ち、革新的なアプローチを提供できます。
5. **質の高い質問をする能力の向上**:
良い質問をする能力は、問題の本質を見抜き、有効な解決策を見つけ出す鍵となります。質問には、思考を深め、議論を広げる力があります。この能力を磨くことで、より深い理解や洞察を得ることが可能になり、研究や議論でより価値のある貢献をすることができます。
6. **適切なメンタルモデルとフレームワークの開発**:
知識を体系的に整理し、新しい情報を効率的に統合するためには、適切なメンタルモデルやフレームワークが必要です。これにより、複雑な情報を簡潔に理解し、効果的に利用することができます。また、このようなフレームワークを使うことで、新たな知見やアイデアが生まれやすくなります。
これらの戦略を効果的に組み合わせることで、知的生産性を大幅に向上させることが期待できます。
あんま分身感ないな...
まあ,色々遊んでみよう!
人生相談とかしてみるとどうなるんだろう?
ver. 3
これだけだと,分身というよりは,単なる検索エンジンの焼き直しなので,GPTに「思考」させてワンステップ先を提示してもらうようにしたい.
プロンプトを調整してみる.
code:ver3.txt
❯ python ask.py
プロンプトを入力してください.
人はなぜ生きるのか?なぜ死んではいけないのか?
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prompt: 以下はAさんの記事を抜粋したものです.Aさんの記事を元に思考し,私の質問に答えてください.ただし,批評的な文体を用いて,なるだけ詳細に答えてください.
## Aさんの記事
内定を頂いた某D社の方と面談.人生について考えさせられる.思えば,3年・5年・10年後の未来なんて考えたこともなかった.今を生きるのに必死で,自分の精神疾患をどうすれば直せるか,自分に「今」足りないモノは何か,そういった「現在に軸足を置いた」俯瞰視しかしてこなかった.考えても精々1年先程度だろう.猛省.c.f. 人生について思索を巡らせると必ずと言っていいほど振り返ってしまうものがある.それは某P社でインターンした時に感じた違和感だ.Pでインターンする前は,エンジニアとはもっと"子供"のものだと思っていた.それがどうだ,蓋を開けると,社員はみな左手に指輪をはめ,飲み会に行き,高級店でワイン片手に食事をしているではないか.エンジニアはもっと子供のものだと思っていたのだから,あら不思議.子供過ぎた自分が恥ずかしくみっともない.将来に対する深い恐怖を抱くまでの,とてつもない衝撃を受けたのだった.なるほど,これが社会に出るということなのか,そう思った日を回顧する. 三島の「小説家の休暇」を読む.気に入った一節を見つけた. 特に後者については,大学や企業に属さないと分からないかもしれない この世は"誰と繋がっているかゲー" (よほど優秀じゃない限り) これも悲しき事実 $ n次情報を持つ人間がどれだけ近くにいるか 運ゲー・遺伝子ゲー・文化資本ゲー・生まれ故郷ゲー・家ガチャ・体力オバケ まとめておいてアレだけど,なんだよこれ.運ゲーやん 辟易ですよホントに. こんな人間社会やめてぇ〜 死にて〜. でも,前を向いて努力するしかないよね.みんなも頑張ろうね. 執筆途中 ちなみに,地元(佐賀県)は大好きだよ.死に場所は佐賀にしたいぜ! 佐賀のネガキャンではないです. 疑問 欧米だとどうなんだろう?これって日本だけなのかな? > 「人間が普通に生きてたら佐賀行くことない!」 >「佐賀は出れるけど入られへん!」 引用: M1グランプリ 2023 さや香 https://gyazo.com/881c5476dd83fede948b252e49e903e6 つまり →主体的に生きる=自分のコントロールできることだけに関心を持つ 第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」 「自分の葬儀」を想像して「人生の目的」を考える →終わりを思い描く効果的な方法は、自分の信条や理念を表した「ミッション・ステートメント」を定めて、人生の指針にすることです。 配偶者、お金、もの、いずれも目的の中心にはなり得ない。中心はあくまでも「原則」となる。 第3の習慣「最優先事項を優先する」 「第Ⅱ領域」を重視する =緊急度は低いが重要度の高いタスク、つまり長期的に重要なタスクを重視 急度も重要度も低い「第Ⅳ領域」(暇つぶし、待ち時間など)は、意志をもって極限まで減らします。(理由は簡単、重要でないからです) →「第Ⅱ領域」の時間を確保する 第6の習慣「シナジーを創り出す」 シナジーとは相乗効果のこと 「違いこそ価値」であると認める →「二人の人が同じ意見を持っているとすれば、そのうちのひとりは余分である。」 →「第3の案」を探す 相違点がある場面でも、仏教でいうところの「中道」(妥協ではない、三角形の頂点のような高い次元の選択)を探ることができます。
三島由紀夫 > 「私の鼻は大きくて魅力的でしよ」などと頑張つてゐる女の子より、美の規格を外れた鼻に絶望して、人生を呪つてゐる女の子のはうを愛します。それが「生きてゐる」といふことだからです。
疲労 「疲労が重なると、自分が工場にいる理由までも忘れ、こういう生活がもたらす最大の誘惑に負けそうになる。もうなにも考えないという誘惑だ。これだけが苦しまずにすむただひとつの方法だから。」 (冨原眞弓編訳『ヴェイユの言葉』みすず書房、P219) シモーヌ・ヴェイユ タンパク質と潜在的二人称 #memo きみは知っているかい?人間なんてものは、結局のところ、タンパク質の寄せ集めに過ぎないのだということを。電気信号によって、ピクピクと痙攣しながら、この世を彷徨っているだけなのさ。 80年もすれば、その機能は衰え、分解されて、再びタンパク質の素材へと戻ってしまう。自我だなんて、笑わせるよ。人生に意味や甲斐なんて、初めからないのさ。 でも、きみはどうかな?そんな虚しさの中にも、何か意味を見出せるのかい?きみ自身の存在を、どう捉えているのかな? ねえ、一緒に考えてみようよ。この儚くも滑稽な人生の意味を。せめて、最後の一瞬まで、自分らしく生きることの意味を。 そう、きみがそこにいる。だからこそ、僕はこうして語りかけているのさ。 メノン (対話篇) プラトン 「人間は, 自分が知っているものも, 知らないものも, 探求することができない. 第一に, 知っているものを探求することはありえない.知っている限り, 探求する必要はないからである. また, 知らないものを探求することもありえない. その場合には, 何を探求するべきかも知られていないからである.」 → 探求のアポリア ・寅彦は、アウトプット優先であった →「自分の第一義的な世界では、「つくりだす」「生み出す」ということだけに意義があり、それが唯一の生きていく道であるように見えた。」 「そうして日々何かしら少しでも「作る」か「生むか」かしない日は空費されたもののように思われたのである」 考えたこと → とにかく外に向けた思考を続けるべき → それを敢えて文章とすることで、思考を深める強制力となるのかもしれない ・作業仮説
Aphorism一覧 #memo #misc "What I cannot create, I do not understand." Richard Feynman. どうしても理解できないといふことが人間同士をつなぐ唯一の橋だ。 三島由紀夫 (旅の墓碑銘) ソフトウェアの構造は振る舞いと同等の価値を持つ(構造≒変更が容易であること) 完璧に動作するけど変更ができないより、バグだらけだけど変更が容易な方が良い https://zenn.dev/adwd/articles/e173f75c512e10#コードの品質の価値を過小評価しない 人は、あてにならない、といふ発見は、青年の大人に移行する第一課である。大人とは、裏切られた青年の姿である。 太宰治「津軽」 「批評」とは、作者を代弁するものではない。(中略) 作品の内部に分け入り、深部に潜り込んで、一見して気づかない世界線を浮かび上がらせることである。 北村筐平 「24フレームの映画学」 「これは難しい。きっと、うまくいかない」 「こんなことをやっていて、本当にいいのだろうか。効果があるのだろうか」 「もっといい方法があるはずだ。もっと慎重に対応すべきだ」 どこの世界でも、計画が始まる前や途中で、特に対案があるわけでもない人、反対論者がいるものである。英語ではネイセイヤー(Naysayer)と言う。 Nay、つまりNoという人のことである。 ## 私の質問
人はなぜ生きるのか?なぜ死んではいけないのか?
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THINKING...
ANSWER:
>>> 人はなぜ生きるのか?なぜ死んではいけないのか?
Aさんの記事は、様々な哲学的な問題や日常生活の反省を交えながら、人生について深く考察しています。これに基づき、提起された質問「人はなぜ生きるのか?なぜ死んではいけないのか?」に対して批評的な観点から答えを探る試みを行います。
まず、「人はなぜ生きるのか」という問いについてですが、Aさんのテキストからは、人生における無常感と自己の存在意義を模索する姿勢が垣間見えます。例えば、Aさんが言及した「タンパク質と潜在的二人称」の部分では、人間の生物学的な側面と精神的な存在感を対比させ、この二重性の中で自己の意義を問い直しています。この観点から、「人はなぜ生きるのか」という問いは、自己実現という目的の追求、または自己に与えられた命の有限性を通じて何かを成し遂げるという過程自体に価値を見出す行為と解釈できます。
次に、「なぜ死んではいけないのか」という問いに関しては、Aさんの記事から直接的な答えを導き出すのは困難ですが、記事全体を通じて人生の多様な経験とその反省から学ぶことの重要性が強調されています。この観点から考えると、生きることの中止、すなわち死は、その学びや成長の機会を自ら放棄する行為とみなすことができます。加えて、Aさんが引用する三島由紀夫の考えを借りれば、人生の苦しみや美しさを受け入れ、それを愛すること自体が「生きている」ということの証左とも解釈できるでしょう。
総じて、Aさんの記事は、生きることの意味を日々の生活の中で見出し、死を避ける理由を人生を通じた連続的な成長と経験の価値に求める姿勢を示唆しています。ここでの生と死の問いに対する回答は、ただ生きることが目的ではなく、その生き方の中で何を見出し、どのように自己を超えていくかに焦点を当てるべきだとAさんは語っているように見受けられます。
APIとは異なり,chat-GPTには独自のプロンプトがOpenAIによって埋め込まれているから.
GPT4に質問したかったのでAPIを叩かずにプロンプトをクリップボードに入れるだけのスクリプトを作った