2024年を振り返る: 人間に戻れた素晴らしき一年
ずっと死にたかった。普通の人間になりたかった。右手には希死念慮、左手には精神疾患があった。右手が僕の首を締め、左手が僕の右手に添い遂げた。いつの日からか、僕は普通の人間としては生きていけない存在なのだと悟った。日本語ではなくC言語、日々吐き出す言語はそれだけだった。
2018年、精神疾患になった。大学入試では、発作が起きて途中でペンを置いた。結果は不合格、7点差であった。自分の病を恨んだ。鳥栖行きの列車を憎んだ。高速バスわかくす号を憎んだ。死んだ母との約束を果たすことができなかった僕は、キャンパスすら見たことがない大学へと入学した。
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2019年、地元の全ての友人と関係を絶った。成人式は中国語の考査を言い訳に、帰省しなかった。入ったテニスサークルは11月にはもう行かなくなっていた ─ 電車に乗ることができない、外で食事をすることができない、友人と遊ぶことが、商業施設へ行くことができない。校内に漂うお昼ご飯のニオイが無理で、大学には三限からしか行けなかった。この時分、僕にできることはデタッチメントのみであった。胃を乱すパニック障害と美しきゲロが、渦巻くコロナの陰と相まって、社会に死にゆく僕の背中を流した。 /icons/hr.icon
2020年、コロナが始まった。世界が僕の味方をしてくれたと思った。繋がりの切断を、外界との断絶を、世界が肯定してくれた。この頃にはもはや、一人であっても食事ができなくなっていた。僕に残されたのは毎日の吐瀉物、ただそれだけ。自分が憎かった。社会が憎かった。佐賀が憎かった。唯一輝いて見えたのは、みなに忌み嫌われるコロナだけだった。 2020年10月、「赤い公園」のメンバーが夭折した。気がついたら、窓から飛び降りようとしていた。
パウル・クレーと村上春樹が必死に僕を止めてくれた。
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2021年の春、再び死のうと思った。コロナは自分を救ってくれたと思っていたのに、現実はそうではなかった。コロナは僕を救ってくれているようで、足を掬っていただけだった。コロナが明けるのが怖かった、閉じかけた世間が再び開かれるのが怖かった、天国のXXXTentacionやJuice WRLDに思いを馳せた。
2021年の秋、僕の左手を肯定してくれる人と出会った。戦場のメリー・クリスマスを聴いて、泣きながら抱擁された。自然で不自然な出会いだと思った。 精神科に連れていかれ、僕は生かされた。雑居ビルの4階にある精神科、診断室は4番の部屋 ─ 精神科医は僕を殺そうとしているんじゃないかとさえ思った。生と死。何ゆえか、スペルマの話をされた。
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2022年、研究室に配属される。相変わらず、飲み会には行けなかった。他人の前でご飯を食べることができず、いつもお腹が鳴っていた。カフェインで苦し紛れに満腹感を満たした。
ある日、TA業務中にパニック発作が起きてぶっ倒れそうになった。教授が心配してくれて、僕だけ足速と早退した。
屈辱だった。一人でも出来る頭脳労働。やっぱり僕が生きていける道はそれだけ、そう思い込むしかなかった。
だから、論文を書き、webサービスを作り、精神の荒野を耕した。だけれど、揺蕩えど揺蕩えど、頭脳労働社会という大海原に抵抗なく漂うのみで、望ましき春野は訪れなかった。振り返ると、私生活を暗渠に投げ入れただけのエポケーに過ぎなかった。
この頃にはもう、高校時代の綺羅びやかな記憶は完全に消え失せていた。高校生活と大学生活との連続性は失われ、防衛機制か何か、記憶喪失になった。純真無垢で何も考えず楽しかった高校の頃の自分は、ギンタマに群がる憎い他人へと成り下がっていた。 /icons/hr.icon
2023年、研究室に半ば強制される形でインターンに行った。罹患後、始めて社会と接続されうる場であった。
社会は酷く恐ろしい。会食があり、昼食があり、懇親会があった。そして、社内のコミュニケーションが、飲み会が、電車での移動があった。 通勤途中の電車では、毎日頓服の抗不安薬を飲んで生きていた。
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9月中旬、気がつくと僕は渋谷で掃除のおじさんに叩き起こされた。
終電を逃していたようであった。
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終電を逃したことが嬉しかった。泥酔して、記憶を失くしたまま、タクシーで日吉に帰った。アルコールはなんと偉大な薬物なのだろう、とさえ思った。
その日以来、吐くことへの恐怖が薄れた。食べたものを吐けるようになり、弱音を吐かなくなっていた。
SSRIとベンゾジアゼピン、そして暴露療法的インターンのおかげで、少しずつご飯が食べられるようになっていた。パニック発作の頻度も減って、いつの間にか、研究室の飲み会にも参加できるようになった。
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2024年、国際会議でシンガポールとシアトルに行った。
(執筆途中)
こんなこと書いていても、GPAが3後半だったり、アプリ作ったり、17本も論文書いていたり、それなりの成果を出しているせいで、みんな真に受けてくれないさ。「結局、苦悩を自慰行為だと思い込んでるペテン師」とか思われてさ。まあそれでもいいんだけどね。