本当って本当にあるのかな、みたいな
https://www.youtube.com/watch?v=kmHEFoJYJlU
「嫌だった」「嬉しかった」「驚いた」「つらかった」その他諸々の感情のラベリングをつけて、「本当は、」となにかを吐き出そうとしている。
その瞬間まで思い出せなかった「本当」があるのか、それとも元々存在しなかった「本当」を作っているのか、ちょっと自分でわからなくなる。
ない「本当」をずっと作ろうとしているのかもしれない
「本当は」何が本当だったんだろう。
本当にそう思ってる。本当に。
今年の夏、日記、談、パーソナルな語りというページを作って、変なマトリクス図を書いてた時期にピンポイントで、このようなブログ記事に当たって興奮した。 聞くCINRAの南麻理恵サン、曰く、
「日記には本当のことが書かれている、ように思えるから面白い」
また、俺、曰く、
匿名性が高ければ高いほど、信用性は高い。
「保育園落ちた日本死ね」の一文が国会で読まれた事件は、ネットの可能性を示しただろう
「保育園落ちた日本死ね」は本当の叫びなのか?チラ裏、日記なのか?どこぞの政治団体のネット工作か?俺は、「保育園落ちた日本死ね」について、今だからこそ、もっともっと色んな角度から語られて然るべきだと思う。書かれたのがTwitter(当時のサービス名)だったら、または顕名のブログだったら、国会まで届かなかっただろうという直感がある。増田という場所の特殊性、インターネット純度の高さは本当に面白い。なぜあそこまでのムーブメントを巻き起こしたのか、どんな必要条件を満たしていたのかっていうのは色んな人の語りを聞きたい。 日記がもてはやされている、にわかに一部界隈から注目を浴びていることと、生成AIの隆盛はやはり切っても切り離せないだろう。これからはポスト・トゥルースの時代だと言われたのは2016年のアメリカ大統領選挙とその後の第一次トランプ政権のときだけど、あのときは半ば冗談みたいな感覚もなくはなかったと思うけど、今はもう、いよいよそうなっている。AIが書いた記事と人間が書いた記事、もうすでに見分けがつかない。本当のこと、「本当」という単語の本当性が問われている。 https://www.youtube.com/live/UzvN0WdqC9g?si=PolcUMQInV99Kcz3&t=1407
AI vs 人類、ギャラクシー賞にノミネートされてめでたい。↑これではなくて5月にやった最初のAI vs 人類で宇内サンが発した「もしこれが人間なら、私は悲しきトイプードルさんを許せない」という台詞は今年のベストだ。
本当って本当にあったのかな、っていう、冒頭に引用したnecomimiiサンのブログ、ちゃんと読めば文脈の違いはあれど、問いかけている本質は俺もnecomimiiサンも同じだろうと勝手に思ってる。本当のことって何? Newton 2024年12月号によれば、並行宇宙、多世界解釈っていうのは科学者にはかなり支持されてるらしい。それを加味すれば、選ばなかった可能性、タラレバの話だって、分岐した並行宇宙の世界ではむしろそっちが現実なんだから、「本当のこと」と言っていいのでは?死んでる猫も、生きてる猫も、等しく本当であるはずだ。そうなると「本当のこと」とは、この世界では選ばれなかった可能性にまで解釈を広げられるだろう、科学的には。 https://gyazo.com/5271dcaaa2149fd29e36307fdad8afbe
自分は、GitHub Copilotに$10/month、ChatGPT Plus に$20/month, Cursor に $20/month の支払いをしている、おそらく日本の人口上位5%以内の生成AI課金勢だ。俺が書いたコードより、AIが書いたコードのほうがリアル。Tabキーを連打するのが仕事。技術ハイプには気を付けてずっと距離を置いてきたつもりだけど、仮想通貨もよけて、メタバース、Web3、すべて難なくよけてきたけど、生成AIはよけられなかった。自分の存在意義ってなんだろうって、月並みだが、生成AIをある程度使ったら誰もが一回は考える悩みを、それなりに抱えていて、だから今年の8月からブログを毎日書いてる、ブログを書いて、本当の毎日の本当性を確かめている、誰かに読んでもらって「本当の毎日だね」って思ってもらいたいような気がする。 ブログにはリアルがある。
今年のキーワードってなんだろうな、って、2021年に #25topics の活動を始めたときから、12月になるとなんとなく毎日考えるんだけど、2024年は「ブログ」と「オフ会」なんですよね、やっぱり。自分含め色んな人がそれぞれの場所で「ブログ」を書き始めたし、色んな人が未遂も含めて「オフ会」してる様子を観測したし、自分も初めての人やとても久しぶりの人と「オフ会」した。出社回帰の流れも、一緒に見られたくはないが、同根なのでは?とも思う。本当の本当性っていうのを確認して、「ああ、確かに、本当だな」という実感を得ようとしている、安心したがっているんじゃないだろうか。心の奥底で。日記を書くこと、ブログを書くことは自分の毎日が本当にあったということを、あとから確認できる数少ない(不確かな)手段だと思う。 特にオチはないんですが、自分は、こういう実感が求められているような世相において、むしろ大事なのって想像力だろ!みたいに思う。想像力は実感を超える。人見知り&出不精なので、生存戦略としてそうなる、ポジショントークでもあるし、GEZANリスペクトだ、俺たちは想像力だけでここまできた。 すべての「本当の」ことが起こりますように。