日記、談、パーソナルな語り
日記、談、パーソナルな語り
https://open.spotify.com/episode/5a6HdsZ5gFlaMvUFuUdvY6?si=b5cab867d39348d9
(17:30あたり)
(南)
もちろん文章がお上手とか色々あるんだとは思うんですけど、なんていうんですかね、なんか言おうとすると言い回しがいつも陳腐になってしまうんですけど...やっぱ「本当のことが書いてある」っていう感じがすごくするんですよね。まあ私達は職業病ではありますけど、読んでもらうために、少しでもスクロールしてもらうための言い回しなり、社会と結びつけて、社会的なキーワードをここに入れて、自分と社会との共通点を、とか...そういう戦略とかが全然、(日記には)あるのかもしれないけど、ないように思えて。
「日記には本当のことが書かれている、ように思えるから面白い」
日記には本当のことが書かれている(可能性が高い)、は俺もそう思う。匿名性が高ければ高いほど、信用性は高い。
https://gyazo.com/c745d04547eae4f6fb60f097472b2042
増田、2ちゃんに全面の信頼を置いている人間から見たマトリクス図。人生で初めてマトリクス図をかいたかもしれない。横は匿名性、縦は話題性。左に行くほど、下にいくほど「本当のことが書かれている」
コピーや引用、俺は模倣の元、題材をずっと探し求めていて、そのタネが日記には多いのかも
ごく個人的な、他人が読んでも面白くもなんともないであろう日記を、だれでもアクセスできるインターネットに書くことの意義とは、みたいなことを考えることもあったんだけど、
いまではそんなことも考えなくなっていて、インターネットじゃなかったら日記なんて書かない、って思っている。べつに誰かに読まれることなんて期待していなくて、そうではなくて、どちらかというと、誰からも開かれている場所に書くことで救われている。
救われている? 読まれる可能性に? 繋がる可能性に? 開かれていることに?
インターネットじゃなかったら日記なんて書かない。開かれている場所に書くことで救われている。
本当のこと、本当の本当性。
「文章はAIが書く。人間は日記を書け。」みたいなフレーズをXで見かけてなるほどなと思った。最近の同時多発的な日記への興味、回帰みたいな現象はLLMブーム(ブームというか、何でしょう?普及?発展?)の影響もあるのかも。
あらゆる文章はAIが書くようになった。人間が書くべきなのは日記だ。
どこからどう見ても「保育園落ちた日本死ね」の一文が国会で読まれた事件は、ネットの可能性を示しただろう、地位、財産、属性に関係なくリソースなんかPCのキーボード、スマホのフリック入力さえあれば匿名な誰かの声は国会に届きうる
「保育園落ちた日本死ね」は、匿名の日記だし、だからこそ国会にまで届いたのだろう。マトリクスのY座標はX軸の少し上らへん、というところだろう。 全然日記書いてないことに気付いた。毎日なんかしらやってはいるけど、どうも書くモチベがかなり失われている。
面白いと思っていた人たちはいろんなSNSに散らばったり、あるいはポジショントークしかしなくなったり、あるいは……って感じで、自動的に入ってくるおもしろ情報というのがなかなか、なくなってしまった。インプットが減ってアウトプットも減ってるのだろうか? そもそもテイカーおじか???
今はフィードをつかってブログ見てる人なんてほとんどいないんじゃないか?