「談」にも「論」にも意味がある
songmu さんの記事と、そこに貼られている資料がよかった。 でも実際は一つ一つの経験には大きな意味がある。普遍的ではないかも知れないが、それでも話してみると、自分が思っている以上に多くの人の参考になったり、勇気づけられたりするものだ。むしろ、キャリアの進み方が普遍的な一本道に収束せず、多様な生き方があることに価値があり、業界に持続性がもたらされるのだ。
songmu さんの主張は「もっと "談" をやっていこうぜ」というものだと理解した。ぼくは「談」と「論」を区別して話せば、どちらにも意味があると思っている。そもそも、体系化された「論」を編もうと思ったら、たくさんの「談」が材料として必要になるものだ。 まるで再現性のある「論」のように個人の体験談・経験談を語ってしまったら、それは聞きづらくもなるだろう。「談」は「談」のまま語るのがよいと思う。
最近読んだ『在野研究ビギナーズ』の序文におもしろいことが書いてあったので、ここで引用しておく。 ここにあるのはいわばチューンのための材料だ。道なき道の道標だ。だから指南書ではなく実例集を編んだつもりである。偏ってない一つの指南よりも偏ったたくさんの実例の方が、多くのビギナーを鼓舞し具体的な実践へ導くに違いない、というのが編者の編集方針である。
荒木 優太. 在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活 (p.6). 明石書店. Kindle 版.
ちょっとかっこつけた文体で書いてしまったが、簡単にいうと、ぼくはあなたの人生の小さな物語に触れたいのだ。だから、どんどん語ってほしい。