手話をはじめた
手話を習いはじめました。今年の5月から、市のなんか、公的ななんか(あまりわかっていない)が開催している手話講習に週1で通っている。 ※手話講習会は小金井市が主催するもので、小金井手話サークルとは関係ありません。
市が主催しているらしい。無料なので通わないだけ損である。2月にコーダ あいのうたを観て、信じられないぐらい感動して、また去年にあの夏、いちばん静かな海。を観たときもすこぶる感動したことを思い出し、小金井市 手話 教室 とかで検索して、この奇跡的な手話講習会にたどり着き、申し込んで、現在に至る。きっかけはそのようなかなりミーハー心であるし、今もまあそのようなミーハー心(?)はあるんだけど、とにかく楽しいしなにか希望めいたものがある。自分は口語、喋ることについて、常に思うように喋れていない、言葉が不自由だという感覚がある、これは今こうやって書いている文章もそうなんだけど、考えや気持ちを喋ったり文章にすることは基本的にはもどかしい。思うように、自由に言葉を繰り出したことなし。こういった言葉の羅列に比べると、手話というものはよっぽど自由な表現に思える。これをまた、言葉で伝えるのはもどかしいことなのだけれど。「雨」という手話は、指を下に向けて両手を上から下に動かす動作で表現される。その表現の仕方は様々で、伸ばした指の本数、動かす速さや幅、傾きなどによって色んな表現が出来る。言葉にすると「雨が(ポツリポツリと|ザーザーと|嵐のように|普通に)降っている」みたいに、何パターンかの単語やオノマトペになるが、身体表現としての「雨」は本当に、人それぞれ無限、無段階、アナログである。手話を勉強し始めて、言葉というものは便宜的にデジタライズされ、クオンタイズされ、高周波・低周波がカットされたものだったことを思い知る。 というわけで、毎週金曜日の夜(今)はいつも興奮冷めやらないわけです。今は、来年は中級クラスに行きたいし、ゆくゆくは通訳できるぐらい上達したい気持ちがある、ありがとう「コーダ あいのうた」。