僕たちは自分ではどうしようもなく暴力をふるう人になってしまう
人間の平均像
> こういう人達は、普段の自分は善良な人間だが、場合によって、あえて悪を演じることがあるのだと言う。いつもは善良だが、理由あって、たまにギャップを見せる必要があるのだと。
> 私は、こういう人達を「あえて悪いことをする人達」と呼びたい。こういう人達は、ふだんの自分は善良であり、悪いことをあえてしてみせた瞬間でさえ、内面は変わらず善良なのだと信じている。
> しかし、言うまでもなく、こういう人達は悪である。こういう人達こそが悪と言っても良い。
> つまり、時々あえて暴言を吐いてみせる人間こそが、街で暴言を吐く人間の平均像である。時々あえて暴力をふるう人間こそが、暴力をふるう人間の平均像なのだ。
「こういう暴力をふるう人が、暴力をふるう人間の平均像」なのではなくて、
「人間の平均像というものが、こういう暴力をふるう人」なのではないか
〇〇みたいな人は〇〇な人間たちの平均像、とかいうのは距離取りすぎてる思う。
僕たちは時と場合によって、境遇とかに左右されて自分ではどうしようもなく暴力をふるう人になってしまう。
性善説とか性悪説とかは自分はどっちでもないのだけど、どっちにもなりうると思う。
善人になる可能性も悪人になる可能性も生まれつき持ってると思う。