Week30, 2024
日記、談、パーソナルな語り
https://open.spotify.com/episode/5a6HdsZ5gFlaMvUFuUdvY6?si=b5cab867d39348d9
(17:30あたり)
(南)
もちろん文章がお上手とか色々あるんだとは思うんですけど、なんていうんですかね、なんか言おうとすると言い回しがいつも陳腐になってしまうんですけど...やっぱ「本当のことが書いてある」っていう感じがすごくするんですよね。まあ私達は職業病ではありますけど、読んでもらうために、少しでもスクロールしてもらうための言い回しなり、社会と結びつけて、社会的なキーワードをここに入れて、自分と社会との共通点を、とか...そういう戦略とかが全然、(日記には)あるのかもしれないけど、ないように思えて。
「日記には本当のことが書かれている、ように思えるから面白い」
日記には本当のことが書かれている(可能性が高い)、は俺もそう思う。匿名性が高ければ高いほど、信用性は高い。
https://gyazo.com/c745d04547eae4f6fb60f097472b2042
増田、2ちゃんに全面の信頼を置いている人間から見たマトリクス図。人生で初めてマトリクス図をかいたかもしれない。横は匿名性、縦は話題性。左に行くほど、下にいくほど「本当のことが書かれている」
コピーや引用、俺は模倣の元、題材をずっと探し求めていて、そのタネが日記には多いのかも
ごく個人的な、他人が読んでも面白くもなんともないであろう日記を、だれでもアクセスできるインターネットに書くことの意義とは、みたいなことを考えることもあったんだけど、
いまではそんなことも考えなくなっていて、インターネットじゃなかったら日記なんて書かない、って思っている。べつに誰かに読まれることなんて期待していなくて、そうではなくて、どちらかというと、誰からも開かれている場所に書くことで救われている。
救われている? 読まれる可能性に? 繋がる可能性に? 開かれていることに?
インターネットじゃなかったら日記なんて書かない。開かれている場所に書くことで救われている。