地球に於ける帝國が成立する可能性
總て、飽くまで「兩河世界の物語に於いては」と云ふ前提で語る
自然や本性 (nature) を「開發する」と云ふ基礎が無くなると云ふのはどうか
自然科學は自然を開發する事を止め保持する儀禮に成る
產業は自然や人體を開發する事を止める
陸地全域に居住を散らすのではなく、密集地 + 生產地に分割する
自然現象を經濟活動と見做す
利子の抑制
欲望の制御 (要求の抑制) 技術
地球を terraforming する
養生 (莊子)
養生思想にスピノザの身体論を経由してタナトスと初期莊子とを入れて目茶苦茶にしたい (ぉ
楊朱-禪
(實はこれは現在の話ですが、一切 reality が無いのも困る事でせうから、現在から連續に想像される要素も要るでせうか。それがこの部分である必要は無いのですが)
帝の唯一性
日本帝國が成立する可能性
地球中で帝國が成立する有り樣が日本帝國の神道を制約し、火星神道を制約するであらう
何故地球に於いて幾つもの帝國が成立したのか。
此の項はta_haruna.iconの覺書としてメタ的に書かれる。
兩河世界の地球史に於いては、第三次世界大戰の前後(21世紀末頃)に各地の主要國が「帝國」を稱する樣に成った。主な物としては日本帝國、アメリカ帝國(擴大コロンビア民主帝國)、中華帝國が設定上既知である。此等の國々は、必ずしも君主としての皇帝を戴く樣に成ったから帝國を稱し始めたと云ふ訣ではない。帝國でなかった國々が次々に帝國を稱する樣に成ったのは何故か。メタ的に、橘榛名が「色んな國が帝國に成ったら面白い」と思ったからと言って濟まして了ふ事も出來ようが、兩河世界はしかし私達によって構築される物であると同時に觀測される物なのであって、當然その經緯は該世界內に於いて必然性乃至合現實性を有してゐなくては成らない。此處に於いて私達は、三次大戰後の「帝國」と云ふのは既知の帝國とは理念を異にする槪念なのであらうと考へた。抑〻「帝國」と云ふ語自體、インペリウムの及ぶ範圍、皇帝の治める國、帝國主義を奉ずる國、多數の民族や地域に及ぶ取り敢へず大きい國など色々の意味を時々に盛られて來た語である。兩河世界の地球に於いては、三次大戰前後の社會情勢の中で何か此迄に無い何か新しい理念が「帝國」の語で表現される樣に成り、亦た其の理念は文化的背景を異にする複數の國々によって受け容れられ、奉ぜられ、遂には各國が其の國號に稱する樣に成った、と云ふ訣である。
此の新しい帝國なる理念が形成される理路として「自然や本性を『開發する』といふ基礎の喪失」が提起された。
21世紀前半の私達の社會は、自然や本性を開發する事による發展・擴大再生產の永續を前提としてをり、此れは「利子」によって象徵される。10投資すれば11儲かると云ふ事である。植民地帝國は、本國が植民地に投資すれば何やかんやあって投資したより多くの利益を得られると云ふ見込みに基づいてゐた。
「帝國主義」