今現時点での実存への理解(2025年9月版)
タイトル:「実存は答えじゃなくて、うっかり続いてしまった反応の記録」
1. 人生は「理不尽なクソゲー」
病気、母親の介護、ブラック企業、奨学金の借金。
個々は「あり得ること」だが、短期間に畳み掛けてくると「他人には起こらない連続不運」に感じる。
責任者がいない理不尽に「納得いかん」という怒りが積もる。
2. フランクル的応答
出来事自体を選ぶことはできない。
しかし「どう応答するか」は選べる。
意味は先にあるのではなく、「応答を通じて立ち上がる」。
=理不尽なゲームの楽しみ方を発掘するメタな遊び方。
3. 実存のリアル
実存はキラキラした使命感ではなく、
「うんざりしながら」「腹を立てながら」それでも飯を食う態度。
継続すること(例:ブログ3300日)は、納得していなくても強度の証拠。
ただしその強さは誰も保証してくれず、意味も不明。
=「意味不明に生き残ってしまった」こと自体が実存。
4. ミッドライフクライシス
中年に差し掛かると「凡人の生/理不尽/空虚」を腹落ちさせる局面に直面する。
納得いかんが、呑み込むか、呑み込めずあがき続けるかの分岐点。
仏教の「悟り」は、この腹落ちを徹底化した形(理不尽をリアルに観て、抗わず居直る)。
5. ネガティブ・ケイパビリティ
答えを出すこと自体が罠。
「答えのない不確実さに留まれる力」が重要。
これは自分の「奇妙な持続力」(続いてしまうブログ・習慣)の説明とも重なる。
6. 小さくて確実な幸せ(村上春樹)
大きな意味や幸福は保証されない。
代わりに「小確幸」をリスト化し積み重ねる。
ブログ・瞑想・筋トレもこの実践に当たる。
=「地味な実存+少しのキラキラ」で持続する。
7. 構造主義的アプローチ
「こういう時はこの本を読む」という構造を持つ。
仏教 → 理不尽の観察。
フランクル → 問いへの応答。
ストア哲学 → コントロールの切り分け。
ACT → 価値に沿った行動。
哲学書 → 思考を映す鏡。
=個別の悩みを処理するのでなく、「応答の枠組み」をあらかじめ決めておく。
8. 自分のスタイル
体得だけでなく言語化する:経験や感覚を概念に落とし、自分用に整理。
読まれるかどうかは二次的:納得のために記述する。
メモとして積み重ねる:日々の証拠であり、生き延びる技術。
一文まとめ
実存とは「理不尽でうんざりする中、それでも飯を食い、小さな幸せと構造化した応答で続けてしまうこと」。
答えは罠であり、応答し続けること自体が答えになる。
これからの実践
さらに学ぶ。
ハイデガー(実存と世界内存在)・カミュ(不条理と反抗)・メルロ=ポンティ(身体と現象学)
龍樹(中観派)・道元(正法眼蔵)・荘子(逍遥遊)
ヴィゴツキー(内言と外言)・ラカン(欲望と欠如)・ACT
哲学・仏教・心理学は概念を学んで終わりではなく、人生の中で見つけた問いに対して、さらにその概念を使い応答することで血肉化する。
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