東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(宮崎事件)
1988年8月 - 1988年12月にかけ、埼玉県西部の入間川流域(入間市・飯能市・川越市)でA(事件当時4歳)、B(同7歳〈小学1年生〉)、C(同4歳)の女児3人が相次いで行方不明になり、Cは行方不明になってから数日後に山中で他殺体となって発見された。その後、1989年2月にはAの遺族に遺骨が送りつけられ、同年6月には東京都江東区の女児D(同5歳)が行方不明となり、埼玉県飯能市でバラバラ死体となって発見された。同年8月に一連の事件の犯人である宮崎勤がD事件の被疑者として警視庁に逮捕され、彼の自供により行方不明のままだったBも遺体で発見された。宮崎は2006年(平成18年)2月2日に死刑判決が確定、2008年(平成20年)6月17日に東京拘置所で死刑を執行されている。
被害者の遺骨を遺族に送りつける、犯行声明を新聞社に送りつけるなど、不可解な行動を犯人がとったことで、マスメディアによる報道が過熱。犯人逮捕後も、犯人の趣味嗜好などが大きく取り上げられ、「おたく」という呼称・言葉が広く周知されるきっかけとなった。当時としては異例の2度の正式な精神鑑定が行われた事件でもある。
今のものとは大分ニュアンスが違う
当時のオタクもこの事件にはかなり迷惑したでしょう
オタクというワードと以下のような内容がセットで報道されたらまあ、一般の人がオタクというものに対して強い拒否感を持つのは無理もないなと思いますが
宮崎は殺害後しばらく経ち、死後硬直で固くなったAの遺体にわいせつ行為を行う様子をビデオ撮影している。
メディア側も手に取りやすい位置にあったオタクという情報を取っただけなのでしょう
実際にはもっと根深い部分に起因しているわけですが