非自発的同意
アーレントはカツアゲを解説するにあたり「自発性の概念」のみに言及していたが、実はここではもう一つ別の概念が問題になっていたのだ。それが「同意の概念」である。つまり、カツアゲされた人物がお金をポケットから取り出して手渡す行為は次のように説明すればよかったのである。たしかにこの事例における私の行為には自発性は存在しないが、しかし、同意は存在する、と。
しかし、”強制はないが自発的でもなく、自発的ではないが同意している”、そうした事態は十分に考えられる。というか、そうした事態は日常にあふれている。それが見えなくなっているのは、強制か自発かという対立で、すなわち、能動か受動かという対立で物事を眺めているからである。そして、能動と中動の対立を用いれば、そうした事態は実にたやすく記述できるのだ。
非自発的同意を行為の類型から排除することは、単に行為の記述として不十分なだけではない。それは看過できない重大な帰結を招き寄せる。
非自発的同意を行為の一類型として認めないならば、ある同意に関して、「同意したのだから自発的であったのだ」と見なされてしまう可能性が出てくる。”道具等々を用いた強い強制力が働いていなくても”、人は何らかの理由から、”疑惑を感じているのに同意してしまう”場合がある。つまり、暴力によって「あらゆる可能性を閉ざ」されているわけではないが、かといって自発的でもない、にもかかわらず同意してしまうことがありうる。(ハラスメントにおいてはこうしたケースが問題になる)。
非自発的な同意というカテゴリーがなければ、そうした同意は単なる同意として、すなわち「あなたが進んで結んだ同意」として理解されてしまうだろう。
そもそも自発的な同意とは何なのだろうか?そういうものはありうるのだろうか?人はどういう場合に、自発的に一致して行為していると言いうるのだろうか?