ネット上のリアクションについて
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postalk のリアクションの理想の形を模索するために色々考える。
リアクションの義務感
いいねをもらうといいねを返さないといけないという義務感になる
三年前の自分に返事していくスタイルwyo3.icon*3
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Facebookで友達になったばっかりの人の投稿にいいねをつける儀式
リアルな会話において、相槌がないと話しにくいというのとはちょっと違う
twitterでメンションつけられると反応しないといけない。いいねだけだと若干物足りない気がして、なんでもいいからリプライする感じ。短文のやりとりの不毛さ。
それもまたコミュニケーションだから良いのではw kiyopikko.icon
大人になっていく・・w yo3.icon*2
いいねしたりコメントしたりして関わりを増やしている人は、もはや純粋にいいねやコメントするというより、自分が関係ある人の投稿を探し出し、いいねをつけなければならないゲームをしているみたい。 ツイートを投稿して、メンションもなしにそれに触れられているみたいなのが苦手。ツイートは一方的に行う行為で、タイムラインを見るとき≠ツイートするとき
いいねが1個もついていないFacebookの投稿をみるといいねしたくなるてあげないとって思う。
自己顕示欲
SNSによって生み出された現代のうっとおしい魔物。
いいね数がたまることによる満足感。「感情が溜まる」って実は奇妙な現象な気がする。
多数決を加速させる
KJ法はひとつだけのカード・島を大事に扱う。postalkは議論をよりよくするためのツールであり、環境を提供しなければならない。RTほど害悪ではないにしろ、数が可視化されることには敏感であるべきだろう。これはスケールの問題と同じだろう。 ファボ機能も怪しくなってきましたね...kiyopikko.icon
こういうオプションあるのも良いですよねーkiyopikko.icon
リアクションの種類
2ちゃんねるが流行していた掲示板時代に比べて、現代のSNS時代はリアクションのかたちが多様化している。
いいね
既読
スタンプ
ハイコンテクストで特別な意味合いを持っているものもある。
ファボが会話のピリオドになる
LINEではスタンプが会話のピリオドになる
メッセンジャーでは絵文字のリアクションがピリオドになる
「既読」という概念もなかなか魔物で、
既読がないアプリだと、見たのか不安になる
既読があるアプリは、「見たのに反応しないの?」って不安になる。
絵文字やスタンプは、「見た」ということと「どういう感情を抱いたか」ということを同時に表現できる便利なツール。スタンプと絵文字のニュアンスの違いは
スタンプ:ラリーを打ち返す
絵文字:ラリーを打ち返さない、ボールだけ受け取ってスマイル
いいねやファボは、こういう便利な側面がある反面、考えることをやめた行動にも見える。「なんか言葉を考えるのも面倒だからとりあえず押しておくか」という感じで。
仕事におけるコミュニケーション
Slackなどのチャットコミュニケーションが主流になって、フランクな会話が行われるようになってきた。
LGTM画像文化、バグをドラゴンと呼ぶなど。
ポジティブなリアクションやユーモアな会話は単純にみんなのテンションをあげて生産性が上がる行為だから喜ぶべきことだと思う。
ただ、SNSと同じような「同調圧力」も同時に輸入されてしまったように見える。
Slackを見れば、絵文字つきのメッセージが溢れている。
純粋に言葉を使った議論においてリアクションは必要なのか、どういうリアクションが効果的なのか。
2人で会話しているとリアクションがないと寂しいし、聞いているのかわからない。
「はい」
「なるほど」
「たしかに」
絵文字をつけるだけだと、会話を終わらせたいように見える。
3人以上になるとメッセージに対してみんながみんな「なるほど」とか書いていたら邪魔でしょうがない。Slackの場合、こういうときは絵文字をつける。
リアルな会議でも誰かが喋るたびに全員が「たしかに〜」と言っていたら、もはや宗教じみている気がする。
あとで見返すという観点に立つと、リアクションはただの雑音でしかない。リアクションはその瞬間だけ意味があるもの。しかも、Slackがメッセージ数で制限されている、という前提がありながらわざわざ「はい」「なるほど」「たしかに」みたいなコメントを打つ我々はなかなか頭が悪いと思う。
postalkで議論する上で効果的なコミュニケーション
リアクションは基本的に「ゴミ」。残すべきではないもの。
複数人で議論をしていて、ある言葉にだけ良い感情が溜まってしまうと議論ではなく、ファボ稼ぎ大会に豹変してしまう。
postalkはできるだけ、「個人の特性や各人の仲の良さを排除した空間にしたい」というのに、仲がいい人同士でいいねをつけあったり、発言力が高い人にいいねが集まったり、リアル会議となんの代わりがない不毛さを孕んでしまう。
不毛と切り捨てるのはちょっと傲慢、その場の目的によるkiyopikko.icon
議論は構造的に解釈されるべきで、構造の中にリアクションは存在しない。その瞬間だけ反応したことが伝って、議論が円滑になればそれでいい。
「動き」の話もでてきているから、「こういうリアクションをした」という行為が記憶の定着を助けることもあるから最終形だけを見て判断するのはちょっと考慮が足りないkiyopikko.icon
送られた相手だけがリアクションされたことが伝わる、みたいな機能が望ましい。
面白そうkiyopikko.icon
会話と本質的に違う部分は「残る」ということ。
会話におけるコミュニケーション術みたいなので、シャドーイングというテクニックがある。
シャドーイングとは相手の言ったことを繰り返したり、要約すること。会話は残らないから、何度も言った方が覚えやすかったり、話を聞いてくれてる感が増していいのだけど、それをWeb上でやってしまうとだいぶ冗長になってしまう。
テキスト(Web)のコミュニケーションは基本的に全員に見える形で残っているので、思い出す必要がない。1回言ったことは言わなくていい。そこが本質的に違う。
トートロジーという言葉があって...kiyopikko.icon チャットが「後から見返せない」「議論に不向き」なのはそこだと思う。あいづちやら不要な情報がすべて同じ強さで残ってしまう。チャットの上で議論をするというのは資産を残さない行為そのもの。
それは賛成kiyopikko.icon