世界が静か
自分の普段の脳内を喩えるなら、理科の実験で川の水をビーカーに汲んでかき回した直後の感じ。いろんなものが混ざってぐるぐるしていて、全然落ち着かない。ごちゃごちゃしていて汚くて、散らかっている。ぐるぐるの中から一つをつかまえようとしてもうまくいかない。他のごちゃごちゃしたものに絶え間なく邪魔されて気が散るし、やっとつかまえたと思ってもまたすぐにどこかへいってしまう。 ストラテラを飲んだ後はそのぐるぐるがおさまって、雑多な不純物が静かに沈んで、きれいな上澄みが見える感じ。しーんとして、落ち着いている。聴力が落ちたわけではないのに、どこか世界の音が遠く聞こえる気がする。おばあちゃんちのテーブルによく敷かれてる3mmくらいの厚さの透明なビニール越しに周りを見てる感覚。すぐ横の道路を車が走っているのに、その音が頭の芯まで響いてこない。うるさくない。世界が静かで少し怖い。え、みんなはこれがデフォルトなの? ずるくない?
周りからの刺激だけじゃなく自分の内から湧き起こるものも明らかにおとなしくなっていて、怖くなった。普段のぐるぐるとごちゃごちゃはあくまで脳内で起きていることだから、それがなくなったところで他人からは分からないだろう(実際、薬を飲んでいた頃に何か指摘されたことはない)けど、自分にとっては恐ろしいほどの変化だった。いつもなら、ただ一人で道を歩いているときもずーーーーーっと頭の中がうるさい。再現するとこんな感じ:
「眠いなー、駅までもうちょっと近くに住んでたら朝が楽そうだなー、でもあんまり近いと電車の音がうるさいか、やっぱ早めに寝るようにしたがいいかな、でもあのゲームとあのゲームがイベント終わるまでは仕方ないよな、車うるさっ、喉渇いたけど鞄から水筒出すのめんどくさい、ていうか家に水筒忘れてきたわ、取りに戻る?いやそんなんしてたら間に合わんか、またやっちゃったなー、忘れ物するたびに自己嫌悪でつらくなるの嫌なんだよな、この前あの人に『帰ってきたら鍵はすぐ所定の場所に戻すようにすればなくさないよ』って言われたけどそれができたらマジで苦労してないしあっ赤ちゃんかわいい、赤ちゃんの足ってかわいいよな、動物の子どももそうだけど外敵から守られるために庇護欲をそそる可愛らしい見た目をしてるってすごい、遺伝とか生物学とか勉強したら面白そうだな、この前NHKでやってた生物学の番組おもろかったし堺雅人の役が良かったな、あれまた放送してくんないかな、NHKによく出るってなんか仕事として安定してて強い感じある、LIFE!って次いつごろやんのかな、でも英語の独学も結局継続できてないのに新しいこと増やしても無理そうってかそのせいでさらに自分のことが嫌になりそう、みんな自己嫌悪とか感じないのかな、わたしは何かあるたび自分のダメさにうんざりするんだけど電車の時間大丈夫だっけ?(スマホを取り出して時間を見る)(案の定ギリギリ)(走る)」
こういう脳内のひとりごとが、起きてから寝るまでずーっと続いてる。みんなこういうもんだと思っていたけど、薬を飲んだら上記がこうなった:
「電車の時間大丈夫かな?(スマホを取り出して時間を見る)(まだ余裕)(歩く)」
終わり。
世界と脳内が静かになったおかげで目の前のことに淡々と取り組めるようになったし、テンパることもなくなったけど、人が変わってしまったようで怖かった(っておよそ自分に対して使う言い回しじゃないけど、これが一番的確)。淡々としている自分の肩を掴んで「どうしたの? 大丈夫? いつものにぎやかなお前はどこに行った?」って呼びかけたくなるような焦りがあった。
これが2019年に初めてストラテラを飲んだときの感覚で、当時病院でも「世界が静かになりました」って話したりしていたんだけど、少し後に小島慶子さんが全く同じ表現をしていて、そうそうそうそう!となった。以下。
驚きました。世界がとても静かだったからです。え? みんなこんなシーンとした世界に暮らしているの? これが「ふつう」なの?
それは生まれて初めて経験する静寂でした。普段の私の頭の中では、実際にわんわんと音が鳴っているわけではありません。ただ、スノーボールを振ったときみたいに、頭の中に色々なものが舞い散って、絶え間なく何かに反応しているのです。考えたくもないのにぐるぐると思いが巡り感情が動き続けるからBusy Brainなのでしょう。どうにか黙ってくれないものかとうんざりすることもあります。とても疲れるのです。 ところが薬を飲んだら、ピタッと動きが止まりました。ひらひらと散り動いていた言葉がすっかり静まって、脳が黙っている。考えようとしたことだけを考え、後は余計なことを言わないで沈黙しているのです。
(中略)脳のお喋りのON/OFFを自在にコントロールできることに驚きました。けれどその空白はよそよそしく、虚無と孤独の中に取り残されたような寂しさも覚えました。