仏教文献学
時系列
そもそもゴータマ・ブッダは口頭のみで仏典として文献を残さなかった。
死後(仏滅より)百年あまりも口伝だった。
第一結集
最初の会議
ここも口伝
第二結集
その後の結集
文献的な証拠や史料に とぼしい
部派によっては、これを 三蔵を編集する会議だと みなす。 最初期の仏典では、まだ縁起説が体系化されてなかった。 初期の仏典から縁起説が整理されていき、諸派の中心理論になって行った。 三支縁起
愛→取→有→生→老死
6,7,8,…縁起
十支縁起
数の大きい方が superset ないし細分化に なってる と 見て取れる。
論点
史料も文献もなく、説得的な議論の対象に できない。
単に最初期の時代を指してるので、当然、措定できる。
詳細は不明
散文 vs 韻文
韻文経典も十分に古いが、散文経典くらい信頼できるかは不確定。賛否両論。諸説あり。 本物の仏典を確定することは、事実上 不可能である。
いわんや肉声や
主な史料
アショーカ王碑文
主な資料
パーリ経蔵
パーリ三蔵の ひとつ
比較的あたらしい部分が混ざってる らしい。
写本の来歴が怪しい。
漢訳仏典
来歴が しっかり してる。
書籍
並川 孝儀『構築された仏教思想:ゴータマ・ブッダ 縁起という「苦の生滅システム」の源泉』
仏伝文献についての文献学によって、縁起説が出現するまでを見る本
ref.
かいつまんで申しますと、「原始仏教」とか「歴史上の釈迦の教え」と言っても、
①仏典と呼ばれるものが文字化されるようになるのは、釈迦の時代から何百年もたってからである
②仏教について語る最古の文字資料は紀元前3世紀のアショーカ王碑文である
③部派分裂以前の仏典は存在せず、部派のフィルターを通っていない仏典は存在しない
④現在利用可能なパーリ語の写本は、ほとんどが18~19世紀の近年のものである
⑤90年代以降に大量に発見されたガンダーラ写本では、三蔵がパーリ三蔵のようなまとまった形で存在していたことを示す写本が確認できない