禅と暮らす一週間。体験記 二日目 2024年秋
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龍雲寺 涅槃堂
はじめに
禅寺での一週間体験記、二日目の記録です。まだ一日目(初日)を読んでいない方は、そちらもぜひご覧ください。さまざまな体験と気づきがあった一日をお伝えしていきたいと思います。 朝を迎えて
初めての夜は、慣れない場所で何度か目が覚めました。完全に起きるわけではなく、うとうとしながらまた眠る、その繰り返しでした。朝5時30分、セットしていた置き時計のアラームの音で目が覚めました。初日から無事に起きられて、正直ホッとしました。アラームがちゃんと動作したことも確認できました。こんな小さなことでさえも日々スマホに頼っているせいで、無くなると不安になることに気付かされます。
朝の準備を済ませて、月曜日だけ特別に組み込まれているノルディックウォーキングに参加しました。6時30分に玄関前に集合し、ポールを両手に持ってみんなで佐鳴湖の外周を歩きます。朝の気持ちいい空気の中でのウォーキングはとても気分がよく、散歩やジョギングをしている地元の人たちと挨拶を交わしながら、佐鳴湖の4分の1を30分かけて往復しました。普段はこんな早起きをすることはないのですが、清々しい朝の空気と心地よい運動で、早起きはいいなと感じました。
朝のお勤め
7時30分からの朝のお勤めのために、寺から借りた作務衣に着替えて道具を用意します。集合時間の5〜10分前には放送で案内があるので、持ち物を忘れる心配はありませんでした。やはりここでもスマホがない状況なので予定を確認する手段がありません。アナウンスが非常に助かります。
本堂での読経では、生活信条から始まり、信心のことば、般若心経、消災咒、大悲咒、四弘誓願文を唱えます。当然ですが、それぞれのお経には意味があります。おそらくほとんどの人はまず意味を理解したいと考えると思います。しかし、初めての経験で意味も作法も分からない中、和尚さんから「恥ずかしがらずに大きな声で唱えなさい」と言われました。最初は戸惑いましたが、周りの人の声に合わせて唱えていくうちに、少しずつ慣れていきました。
これは一体どういうことなのか?その理由は後の法話で分かりました。全ての人間は、赤ちゃんとしてこの世に誕生します。赤ちゃんは生まれた時、意味も分からずオギャーと泣き声を上げます。それは生きるための自然な表現です。でも大人になると、プライドや欲が邪魔をして素直に表現できなくなります。読経することは、オギャーと泣く赤ちゃんの声を聞いて感動したあの喜びを思い出すことです。恥ずかしいとか、くだらない欲は捨てて何も考えずにただ大きな声で唱えるだけでいいのです。この考え方は、とても新鮮で心に響きました。
その後の坐禅は、朝ならではの静かな空気が心地よかったです。鳥の声が聞こえ、車の音も少なくて落ち着きました。和尚さんが持つ警策で背中を打ってもらうこともできます。打たれたい場合は、前を通る和尚に手を合わせる合図をします。ちなみに、坐禅では目を閉じず、正面のやや下の一点を見つめるようにします。ちょうど半目のようになるのですが、それが正しい坐禅の時の目となります。仏像の表情も、この坐禅の時の目の状態を表しているそうです。
法話で学んだこと
法話では先祖についてのお話がテーマでした。先祖というと、何をイメージするでしょうか?多くの人は両親や祖父母のことを思い出したのではないでしょうか。でも実際には祖父母にも両親がいて、これには例外がありません。700年前まで遡ると1人あたり、68億人もの人数になるそうです。その全ての人々の命が途切れることなくつながって、今の自分がいます。もしかしたら、見知らぬ人ともどこかでつながる先祖がいるかもしれません。目に見える近い先祖だけでなく、自分を生み出した全ての命に感謝することの大切さを学びました。この話を聞いて、自分の存在の尊さと、この先祖の命を背負ってこれからどう生きていくか、よく考えるきっかけになりました。
午前の過ごし方
朝のお勤めの後は自由時間でした。早朝から不慣れな生活リズムで運動もしたので少し疲れていて、温かいジャスミンティーを飲みながら読書をすることにしました。禅堂には仏教の本や小説、健康の本などがたくさんあります。私は「ブッダも笑う仏教の話」という本を読むことにしました。難しい仏教の話も、笑いを交えて分かりやすく書かれていて、とても読みやすかったです。
11時からは初めて酸素カプセルを体験しました。入って横になるとすぐに眠くなるような心地よさでしたが、試しに酸素濃度を上げてみたところ、気圧の変化に慣れるのに時間がかかり頭が痛くなりました。後で酸素カプセルを体験した方とも話したのですが、誰しも頭痛が起こるわけではなく個人差があるようです。30分の体験であっという間に終わってしまったので、また機会があれば1時間くらい入ってみたいです。
午後の活動
お昼頃になると、自然と食事のことが頭をよぎります。まだそこまで空腹感があるわけではありませんでしたが、無意識に何を食べようかと考え始める、そんな気持ちです。とはいえ夕食まではまだ6時間以上あるので、お茶を飲んで我慢しながら、13時からの水引体験に参加しました。参加する時には水引の意味すらもわからない、そんな状態でした。
水引はご祝儀袋の飾り紐のことです。今となっては既製品で済ませてしまうことばかりですが、昔は相手のことを考えながら手作りしていたそうです。1時間で平梅結びを練習しましたが、本当に難しくみんな苦労していました。それでも先生が丁寧に教えてくださるので、なんとか大切な人へ贈る作品を作れて良かったです。細かい作業に没頭することで、食事のことも、嫌なことも忘れられました。
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最初に作ったもの。だが、帰ってから通し方を間違えていたことに気づき、再度解いて作り直している。ただ一度作ると紐がよれて作りにくくなる。
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2回目に作ったもの。2色で2本・1本の構成だと綺麗だと気づき、同じ割合で色味をガラッと変えてみた。2回目だから上手くなっていた。
15時からは懺悔供養の時間です。初日の振替として本日の入門者と一緒に行われることになりました。昨日書いた懺悔紙を焚き上げて、数珠をいただきました。この時間はあっという間で、考える暇もありませんでした。普段の生活では味わえない、特別な体験でした。ご本尊様を間近でみることができたのもこの時が初めてです。
その後は、初日と同じように有料のトレーニング教室があり、食事、坐禅、おやすみストレッチと続いていきます。この日のトレーニングはインナーマッスル・背骨調整メニューでした。
この日の夕食の時、生飯(さば)を取り忘れてしまいました。この小さな失敗で、空腹のせいで目の前のことに集中できていない自分、食事への感謝をすっかり忘れかけている自分に気づきました。日々の生活の中で、当たり前になっていることの大切さを改めて考え、反省しながら食事を取りました。二度と同じ過ちを犯さなないように気をつけようと思いました。
ふりかえって
この日、入門者の中に若者がいるのを見かけて少しだけ嬉しかったです。一方で、年代の違う参加者との交流も印象に残りました。普段の生活では関わることのない方々と、水引体験を通じて会話を楽しむことができました。スマートフォンがない生活をすることで、今起きていることや、一緒にいる人たちとのつながりをより深く感じられました。「今この瞬間」を大切にすることの意味を、実際に体験して学んだ一日でした。
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