阿頼耶識
深層意識。法相宗が独自に発展させた概念。
井筒俊彦の概念整理がわかりやすい(のか?)
https://gyazo.com/e9bffb3f4c78b390921d11d5b207bbf8
https://soka.repo.nii.ac.jp/record/40430/files/tusinkyoikuburonsyu0_23_09.pdf
2.3. 言語アラヤ識の概念形成
井筒によれば、 意味可能体は現勢化を待つ意味的エネルギー群としてのみ存在する潜勢体のコトバである。 そしてこの意味的エネルギーの実体的に形象化されたものを井筒は唯識哲学の概念を使用して「種子」 (しゅうじ bija) と呼ぶ。井筒はさらに考察を進めて、われわれの意識下にある種子のいわば 「溜まり場」 を 「アラヤ識」と呼ぶ。 周知のように、アラヤ識とは唯識哲学における根本概念であるが、井筒は唯識的な意識構造を3つのモデルとして描いている。すなわち、
①感覚知覚と思惟・想像・感情・意欲などの場所としての表層 (前五識および第六識)
②一切の経験の実存的中心点としての自我意識からなる中間層 (第七未那識)
③近代心理学が無意識とか下意識とか呼ぶものに該当する深層 (第八阿頼耶識) 14)
唯識的コンテキストからみれば、 アラヤ識はカルマの集積として人間意識の深層にあるものと理解されているが、その概念は井筒によって言語理論的方向へ引き伸 ばされ、「言語アラヤ識」とネーミングされる。
唯識によれば、われわれの経験は内的にも外的にも行われるが、こうした経験によってあとに残された痕跡がカルマの集積としてアラヤ識に貯蔵される。 しかし井筒によれば、こうしたカルマの痕跡が時間をかけてやがて意味の 「種子」 に変わる15)。この段階が「言語アラヤ識」 と呼ばれる。 つまりカルマは 「種子」として言語アラヤ識のなかに蓄積されることになる16)。
それでは、 言語アラヤ識内に蓄積された種子は具体的にどのように実現するの か。 井筒はこの問題を考えるにあたり、 言語アラヤ識が根源的に個人の心の限界を超出することを前提にして二つの方向で考えている。 すなわち水平的方向と垂直的方向である。 水平的とは、 個人の体験の範囲を超えて広がるということを意味し、 垂直的とはこれまですべての人が経験してきた生体験の総体に延びるところの、 集合的共同意識領域として表象されるということである 17)。 この解釈は言うまでもな く唯識の本来的思想を逸脱しているが、しかしここには井筒独特の《読み》が発揮されているように思われる。
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