井筒俊彦
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語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている。
慶応義塾大学出版会
もともと我々の言語意識の表層領域は、いわば社会的に登録済みの既成のコトバの完全な支配下にある。そして既成のコトバには既成の意味が結びついている。既成の意味によって分節された意識に映る世界が、すなわち我々の「現実」であり、我々はそういう「現実」の只中に、すこぶる散文的な生を生きている。
しかし、いったん言語意識の深みに目がひらけてみると、存在秩序は一変し、世界はまるで違った様相を示しはじめる。言語意識の深層領域には、既成の意味というようなものは一つもない。時々刻々に新しい世界がそこに開ける。言語意識の表面では、惰性的に固定されて動きのとれない既成の意味であったものさえ、ここでは概念性の留め金を抜かれて浮遊状態となり、まるで一瞬一瞬に形を変えるアミーバのように伸び縮みして、境界線の大きさと形を変えながら微妙に移り動く意味エネルギーの力動的ゲシュタルトとして現れてくる。
全現象界のゼロ・ポイントとしての「真如」は、文字どおり、表面的には、ただ一物の影すらない存在の「無」の極処であるが、それはまた反面、一切万物の非現実的、不可視の本体であって、一切万物をうちに包蔵し、それ自体に内在する根源的・全一的意味によって、あらゆる存在者を現出させる可能性を秘めている。この意味で、それは存在と意識のゼロ・ポイントであるとともに、同時に、存在分節と意識の現象的自己顕現の原点、つまり世界現出の窮極の原点でもあるのだ。
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意識の構造モデル
Aは表層意識を、そしてその下は全部深層意識をあらわす。最下の一点は意識のゼロ・ポイント。それに続くCは無意識の領域。全体的に無意識ではあるが、B領域に近付くにつれて、しだいに意識化への胎動を見せる。Mは「想像的」イマージュの場所。B領域で成立した「元型」は、このM領域で、様々なイマージュとして生起し、そこで独特の機能を発揮する。
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全一的「真如」の略図
A空間は絶言絶慮の非現象における「真如」、B空間は現象的存在界に展開した次元での「真如」。Aは、元来コトバにならないことはもちろん、心に思い描くことすらできない「真如」の形而上的極限を、無理に空間的表象であらわしたものであり、Bは、言語と意識とが、「アラヤ識」をトポスとして関わり合うことによって生起する流転生滅の事物の構成する形而下的世界を表示する。
存在は相互関連性そのものなのです。根源的に無「自性」である一切の事物の存在は、相互関連的でしかあり得ない。全体的関連性の網が先ずあって、その関係的全体構造のなかで、はじめてAはAであり、BはBであり、AとBとは個的に関係し合うということが起こるのです。「自性」のないAが、それだけで、独立してAであることはできません。
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AもBもCも、すべての「事」は、無数の矢印付きの線(存在エネルギーの方向性)の結び目である。