金の子牛
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金の子牛事件
モーセが下山して宿営地に戻ったところ、民衆は宴に興じながら金の子牛を拝んでいた。怒りに満ちたモーセは十戒の石版を破壊するやいなや、金の子牛を燃やし、それを粉々に粉砕して水に混ぜ、イスラエルの民衆に飲ませた。そして彼はレビ族の者を集め、偶像崇拝に加担した民衆の殺害を命じる。同書では、そのとき死んだ民衆の数を3千人であったと述べている。
なんで十戒の石版を破壊したんだwnishio.icon
モーセが民にキレたからcFQ2f7LRuLYP.icon 出エジプト記32章~
この前段階に、20章で十戒が神様から契約の言葉として提示されてる
モーセはシナイ山に登って40日40夜神と話していた モーセが帰ってこない間に民は「モーセがどうなったかわからないし、先立つ神様作って下さい」とモーセの兄アロンにお願いする
アロンは仕方なく民から金を集めて金の子牛をつくった
民は「これこそエジプトから皆を連れ出した神だ」といって、アロンが祭壇を築く
一方そのころ
神が「民、堕落したで」「鋳物の子牛を作って生贄をささげ、「これが神だ」って言うとるしお前以外滅ぼすわ」という
神をキレさせると怖いのでモーセも嘆願して謝る「どうしてエジプトから連れ出したあなたの民に向かってお怒りを燃やされるのか」「どうか怒りを収め、わざわいを思い直して下さい」
神は思い直された
んでモーセが山から降りると民が子牛の周りで踊っているのを見る
モーセはキレて板を投げ捨てて砕く
ここが謎nishio.icon
なんで授かってきたばっかりの石板を投げ捨てて砕くの!
「見よ!これが神から授かった十戒である!!」とやるとかじゃないの?
契約を守らない民衆が悪いのはさておき、神から賜った石板をいきなり砕いたのは謎だnishio.icon
解釈を探してみたcFQ2f7LRuLYP.icon
>せっかく神様から授かったのに、すぐこわしちゃっていいんですか??
石板を砕くというモーセの激しい怒りの表現(32・19)は、
神の怒りを代弁したものだと言えます。
この後、モーセは牛の像もこなごなに破壊しました(32・20)。
人間の心の弱さ、頼りなさを嘆くモーセの表情は本当に怖ろしく、そして悲しげでもあります。もしかすると、最初に授かりながら叩き割ってしまった石板には、今のイスラエルの民に授けるには、まだ早すぎる教義が記されていたのかも知れません。だからモーセは敢えて叩き割り、再度、神のもとへ赴いたのではないでしょうか。なぜ、あなたたちには分からないのだ…という、悔しさのにじみ出たモーセの表情かも知れません。端然と座った黄金の子牛だけが、人間たちの成すさまを冷ややかに見つめているようです。
十戒は主なる神様がイスラエルの民と結んで下さった契約と結びついています。それを破ったということは、主なる神様と民との契約が破綻し、ご破算になったということです。そのことをはっきりと示すために、モーセは十戒を記した石の板を砕いたのです。
この解釈に一票cFQ2f7LRuLYP.icon
「砕いたのは契約の破綻をハッキリ示すため」
この後モーセが殺人を命じるのも契約が一旦破棄されてたからなのかなnishio.icon
思いつかなかった解釈cFQ2f7LRuLYP.icon
cFQ2f7LRuLYP.iconの解釈もぶれてたな……
金の子牛を火で焼いて粉々に砕き、水の上に撒き散らせてイスラエルの人に飲ませた
モーセ、アロンにも「なんで民にこんな罪を負わせたんや」とキレる
アロン「民が作ってくれと言ったので、金を持ってきてと言って集まったのを火に入れたら金の子牛が出てきました」という
「荒野のさすらい」――これはモーセによる支配の時代に該当する可能性がある――に関する報告はモーセの権威に反抗する一連の深刻な謀叛を記述しており、これは――ヤハウェの掟に基づき――流血を見る懲罰によって制圧されている。いったん起きてしまったこのような群衆の蜂起が聖書が物語ろうとするものとは別の結末を迎えたと考えるのは容易だろう。もちろんひとつの挿話としてではあるが、民族の心が新しい宗教から離反したことも聖書に書かれている。それは黄金の子牛にまつわる物語であるけれども、このなかで巧妙な言い回しでもって、象徴的に理解されるべき掟の石版の粉砕(「彼は掟を破った」)がモーセ自身の所業とされ、彼の憤怒がその所業の動機とされている。(『モーセと一神教』ちくま学芸文庫p87)
フロイトが想像する事態は、
①民の蜂起でモーセは死んだ
②(象徴的な意味で)石版を粉砕したのはモーセではなく民族たちのほう→民の宗教放棄
モーセ、民が分断されているのを知り、レビ族を集めて偶像崇拝に加担した民衆を殺害する おおよそ三千人が死んだ
モーセが「汝、殺すなかれ」をいきなり破って大量殺人してる件nishio.icon
ここはどう解釈していいのかわからんcFQ2f7LRuLYP.icon
一応神の意志によるものだとは思う
こうして、主は民を打たれた。アロンが造った子牛を彼らが礼拝したからである。(出エジプト記32章35節)
神が民を打ったことになっている
違うと思うnishio.icon
26モーセは宿営の門に立って言った、「すべて主につく者はわたしのもとにきなさい」。レビの子たちはみな彼のもとに集まった。 27そこでモーセは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『あなたがたは、おのおの腰につるぎを帯び、宿営の中を門から門へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ』」。 28レビの子たちはモーセの言葉どおりにしたので、その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。
モーセが金の子牛を見てから3000人死ぬまでの間に神とのやりとりは行われてない
たしかにcFQ2f7LRuLYP.icon
「こうして、主は民を打たれた」「そして、主は民を打たれた」の訳の揺れがある
当然の報いと見る説
その後、モーセは、この偶像製作と偶像崇拝に加担した者に悔い改めを呼びかけます。するとそこには、レビの子らが集まりました。モーセは、このレビの子らを用いて、悔い改めない者全部を殺してしまうように、命じるのです(27~28節)。
この記述に対しては、正直、辟易する思いがいたします。皆殺し。旧約聖書には、そういう話はいっぱい出てくる。しかし私たちは、まずその本来の意味をよく理解しなければならないでありましょう。本来は、当然の報いであったということです。私たちには、自分の罪の責任が伴っているのです。パウロも、「罪の支払う報酬は死です」と言っています(ローマ6:23)。そのことの重みがわかっている時に初めて、イエス・キリストのあがないの意味もわかってくるのであろうと思うのです。
イスラエルの人々が犯した偶像崇拝という罪をあがなうために三千人を殺した?
本来は全滅しても文句が言えないくらい重い罪
モーセも自分の名前と引き換えに償うことができるかもと言っている
30 あくる日、モーセは民に言った、「あなたがたは大いなる罪を犯した。それで今、わたしは主のもとに上って行く。あなたがたの罪を償うことが、できるかも知れない」。31 モーセは主のもとに帰って、そして言った、「ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。32 今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば―。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。
ちなみにモーセは若い頃に殺人を犯している(余談)cFQ2f7LRuLYP.icon
11 モーセが成長して後、ある日のこと、同胞の所に出て行って、そのはげしい労役を見た。彼はひとりのエジプトびとが、同胞のひとりであるヘブルびとを打つのを見たので、
12 左右を見まわし、人のいないのを見て、そのエジプトびとを打ち殺し、これを砂の中に隠した。
13 次の日また出て行って、ふたりのヘブルびとが互に争っているのを見、悪い方の男に言った、「あなたはなぜ、あなたの友を打つのですか」。
14 彼は言った、「だれがあなたを立てて、われわれのつかさ、また裁判人としたのですか。エジプトびとを殺したように、あなたはわたしを殺そうと思うのですか」。モーセは恐れた。そしてあの事がきっと知れたのだと思った。
聖書(民数記)においても、レビ族は「彼らはイスラエルの人々のうちに嗣業を与えられなかったため、イスラエルの人々のうちに数えられなかった者である。」と書かれている。 出エジプトの荒野を移動する時は、12の部族の中で最小の部族
割と人が殺されてる
この後もう一回シナイ山に登って無事十戒を持ち帰ってきたのだった(出エジプト記34章)
神様に「前のを怒りのあまり砕いてしまいました、もう一つください」って言ったのかな、寛容な神だnishio.icon