車輪の再実装
(車輪の再発明とは違う意味で使っている、存在する言葉かはわからない)blu3mo.icon 車輪の再発明:車輪を知らずに、自分で新しく車輪を考え出す
車輪の再実装:車を作る上で、市販の車輪を買ってこないで自力で車輪を作るみたいな?
blu3mo.iconはこれを避けすぎていて良くないなー、となんとなく感じている
(まだふわっとした考えだけど)
実装力をあげたいなーと思っているけど、その一つにつべこべ言わず車輪を再実装するような力が含まれているような気がしている 基礎の練習問題とは違うのか?
数学の教科書の練習問題とかで、定理を証明させたりする問題があるけど、そういうのとは違う?
ちゃんと導出できるようになる意味
定理の証明を追うと考え方を身に着けたり、細かい部分に気がつくようになるSummer498.icon
確かに実装と似ている
本当か?
OS自作入門とかみたいな、再実装で学びを得ることが目的のやつ 上の方で言っているのは、手段としての車輪の再実装にモチベを保てないという悩み 例えば「今までにない斬新なSNS」が作りたいとして、その過程の基本的なSNSの仕組みを作る作業にモチベが保てない
応用事項をやりたいけど、基礎事項を学ぶのがめんどう、みたいな
こういう場合はあえて手段の目的化をするのが有効だったりしそう この言葉の区切り方は新鮮ですねtakker.icon
学習目的で「車輪の再発明」という言葉をを前向きに使うことがあるが、この定義に沿えば「車輪の再実装」と呼べる
既存のツールを別のプログラミング言語で実装するとか
「正解」にたどり着く過程で試行錯誤するのが、オトナたちにとっての「努力」。
でもいまは、そういった情報はすぐにシェアされ、広まっていく。
答えを手に入れたあとに試行錯誤するのが、若者たちにとっての「努力」。
答えを知って終わりではなくて、その後、手札が全部そろった状態でどう戦うか、答えをもらったあとにどう応用するかで試行錯誤する人は、たくさんいる。
言いたいことはいまいちわからないが、若者はその手の過程をすっとばして先にある応用をがんばりがちだというのが話題はるひ.icon
言及されてる
一生を掛けまったくのゼロから独力で二次方程式の解法を見出した人
天才は天才だったけど巨人の肩に乗ることも知らず人に寄与することもなく終わった
cFQ2f7LRuLYP.iconがうんうん唸ってファイルオープンの方法をいじってみてても人に寄与することはない
もう解法があってそれを知ってる人も近くにいるのに迂回路を通って時間を費やしている
何をするも自由なんだけど、そういうことをしている自覚はある方がいい
レベルの差はあれプログラマーはこれを仕事にしてると思うinajob.icon逆わかる〜!!.iconSummer498.icon仕事&趣味だね こうやって挙動を学び、これを組み合わせて課題解決につながる