論文査読の落とし穴
ユビキタスの街角: 論文査読の落とし穴増井俊之.icon
1. 査読者が理解できない論文は掲載されない
トンデモ論文が掲載されないのは良いことかもしれないが、
査読者の理解をはるかに越える素晴らしい論文が掲載されないというのは困りもの (滅多に無いのでかまわない)
2. 自明なことを述べた論文は掲載されない (もっと身近)
自明なものを論文として発表する意義なんか無いと思うかもしれないが、
「原理が複雑であまり便利でないシステム」の方が論文として 発表されやすくなってしまうのは問題
このようなシステムでも、真面目に評価して統計処理などを行なうと論文として格好がつくので、 良い査読結果が得られる可能性が高くなる。
えーSummer498.icon
この結果、全然役にたたないシステムが沢山論文として発表されてしまうことになる。
これだけだとまだ良いのだが、 査読で落ちた「原理は自明だが便利なシステム」が再発明され、 別の学会で発表されてしまう可能性があるのはさらに問題である。
この場合、再発明した人物がその手法の発明者として記録され、 最初に発明した人物は埋もれてしまうことになる。
原理が複雑であまり便利でないシステムってどんなものだろうSummer498.icon
論文読んでて実装の章で理解を諦めたくなるやつがある
そういうやつなのかもしれない
HCIおもちゃ説あたりが念頭におかれてそうtakker.icon
/kurotaky-lab/HCI研究おもちゃ論争
世界で数人しか理解している人がいない理論の査読をできる人がいない問題もありそうSummer498.icon
国内で 5 人しか理解している人がいない理論の研究を 3 人グループで行って残りの 2 人が査読するしか無い状況が実際に発生している
認知的音楽理論
5 人しかいないと、その理論の勉強会もなかなかできない
「落とし穴」ではないか