複数人で設計ドキュメントを同時編集するのは難しい
Scrapboxで誰でも自由に許可なく文書を編集できるのは、仕事で使う場合に支障はないのかなと思うことがあるinajob.icon
仕事だとどうしてる?
他メンバーが文書について修正案を提示する
Aが修正案を文書に取り込む
何が良いのか?
疑問
意見が一貫しているということ?
対立する意見が共存していない?
文書の内容をすべて把握している人がいるということ?
一貫性を保てると何がうれしい?
Aだけでなく全員で担保できないのかなyosider.icon
同一人物が書くことと文書の一貫性が担保されることとの関係を詳しく検討したいはるひ.icon
別の(そして最もわかりやすい)たとえは「小説は作家が一人で書く」「n人で書いてもたぶん成功しない」
仕事を小説に例えるのは適切なのだろうかyosider.icon
むしろ科学論文とか?
複数人で書くことはあるが、誰かがリーダーシップを取るのが普通?
「作品」的なものは一人か、少人数でないとつくれないという体感があるsta.icon
自分は小説も論文も全部同じだと思っているが、どうだろうなぁ(うまい言葉がないのでとりあえず「作品」にした)
Scrapbox界隈でよく「本という一次元に落とし込むのがきつい」的な話をきくが、作品≒一次元化かもしれない
一次元に落とし込む無数の方法があり、それらの多くはどれも正解で優劣がつけられないので、誰かがばばーっと構造を作って(たたき台)それを元に話すのが効率的と考える(ソフトウェア設計のデザインドキュメントの場合)inajob.icon
本質は意思決定なのかもしれないと思ったsta.icon 何が悪いのか?
Aが作業しないと文書が更新できない
Aに「このように修正したいけど良いかな?」と伺いを立てたい気持ちがあるinajob.icon
これってどういう時に起こるんだろう基素.icon
コメントするだけなら行の下にコメントすればいいから違う
この文を書いた時は意識していなかったが文書と議論を分けたい気持ちがあるのかもinajob.icon
議論だけ別ページでやる手もあるかも基素.icon
正式な文章(議論へて決まった後の文章。たとえば告知文)と議論は別にしたいのはわかります基素.icon
正式な文章を初めて読む人にはノイズ
それですinajob.icon
たたき台フェーズはScrapboxで、最終文書は改めてGitHubにPRするとかが効率良さそうな気がしてきたinajob.icon
大きな変更は議論した方がいい
小さな変更は変えちゃえばいい←これ?
Githubのプルリクエストと同じような機能として理解したbsahd.icon
最近はデザインドキュメントを使った設計の議論を行うことが多く、その際は上のような方式でレビューしている 関連ページ