能「熊野」
『熊野』(ゆや)は、能を代表する曲の一つである。作者は、世阿弥[1]。禅竹の著書『歌舞髄脳記』に『遊屋』の記述がある。喜多流では『湯谷』。『平家物語』の巻十「海道下」(かいどうくだり)の場面から発展させたと考えられる。 作中で「自分と同じ名前だ」として熊野権現、今熊野(いまぐまの)を挙げている。つまりは喜多流以外では主人公の名は「くまの」だと思われるが、本項では「ゆや」と音読みする。 ドラマチックな展開を可能とする素材を扱いながら、対立的な描写を行わず、春の風景の中、主人公の心の動きをゆるやかな過程で追う。いかにも能らしい能として、古来「熊野松風に米の飯」(『熊野』と『松風』は、米飯と同じく何度観ても飽きず、王道である、の意)と賞賛されてきた。 https://youtu.be/9qziJfvK-gc?si=IbwY3w6CsPz7yoF3
「平家物語」にまつわる能・狂言・平曲を鑑賞するこの公演は2021年で24回目を迎えました。能「熊野」は「平家物語 巻第十『海道下』」を原典とし、桜花満開の京都の景色と病母の無事を祈る熊野の心中の対比が描写されます。 あらすじ
平宗盛の側近く仕える愛妾熊野は、国元からの使いの朝顔より老母が重病であるという文を受け取ります。熊野は文を携えて宗盛に暇を乞いますが、熊野を花見の供にと帰郷を許そうとしません。願いは叶わぬまま、熊野を乗せて花見の車は出発します。熊野の心は晴れぬ一方、東山の道すがら、辺りは桜花爛漫、人々は明るい。やがて酒宴は始まり、宗盛の所望で熊野は舞を舞います。すると俄かに村雨が降って花が散り、熊野はますます母の命が思いやられ、涙しつつ和歌を綴ります。それを見てさすがの宗盛も哀れに思い、暇を与えます。熊野は喜び、東路を急ぎ故郷へと帰っていきます。