竹の葉にあられ降るなりさらさらにひとりは寝べきここちこそせね
竹の葉にあられ降るなりさらさらにひとりは寝べきここちこそせね (和泉式部) 「竹の葉にあられふるなり」の「ひとりは寝べきここちこそせね」が「さらさらに」のオノマトペを媒介に繋がっているcFQ2f7LRuLYP.icon 竹の葉にあられが落ちてさらさらと音がなる
♪ささの葉さらさら の音感
現代のように猛烈に降る霰のイメージはない
いまいちどんな音なのか想像し難いyosider.icon
竹林が風になびいてわしゃわしゃ鳴ってる音の感じ?
その線でよさそうcFQ2f7LRuLYP.icon
「さらさらに」の「さらに」
月のころは「さらなり」と同じ語であるとは思うcFQ2f7LRuLYP.icon
こちらは副詞だった
今更に
*拾遺和歌集〔1005~07頃か〕恋四・八六〇「玉河にさらす手づくりさらさらに昔の人の恋しきやなぞ〈よみ人しらず〉」日本国語大辞典「更更」
否定と組み合わさると「決して~ない」
*古今和歌集〔905~914〕神あそびの歌・一〇八三「美作(みまさか)や久米のさら山さらさらにわが名は立てじ万代(よろづよ)までに〈よみ人しらず〉」同上
さらを重ねている
強調の意も含まれているか
さらにひとりは寝べきここちこそせね
この「べき」をどう読むべきかなcFQ2f7LRuLYP.icon
可能
寝られるような心地がまるでしない
なぜ竹の葉に落ちる霰の音と、一人で寝られる心地がしないことが繋がるのか?
歌の中には描写されていないコンテクストがあるか?
たのめたる男の、いまやいまやと待ちたるに、まへなる竹の葉に、あられのふりかかるを聞きて(和泉式部集・41 詞書)
この歌が詠まれたのはいつか?どこまで明確にできるか?
和泉式部日記に収録されているのであれば、かなり明確なところまでわかりそう 和泉式部集に収録
異常気象で不安とかそういうことではないんだろうなyosider.icon
現代の霰はドカドカーッバババーッって音するんで「さらさら」というオノマトペが似合う感じではないcFQ2f7LRuLYP.icon
まあ、ある意味「寝べき心地こそせね」とも言えるか…
共寝でも寝られなさそう