生得観念
ざっくりこういうことかなnishio.icon
デカルト1596年 - 1650年が「神の概念は生まれつき持ってるもんだろ」と言って
ロック1632年 - 1704年が「そんなわけないやろ、生まれたばかりの人間は白紙みたいなもんだ」と反対し
タブラ・ラサ
カント1724年 - 1804年が「いやいや、神は流石に言い過ぎだが、白紙も言い過ぎだろ」と反対した
要はバランスおじさんwho.icon
本有観念ともいう。人間精神に生まれつき備わっていて、他のいっさいの認識の基礎となる観念のことで、感覚を通して得られる外来観念idea adventitia(ラテン語)、および人間精神がかってにつくりあげる構想観念idea facta vel factitia(ラテン語)に対立する。その先駆思想としては、プラトンの想起説をあげることができるが、中世スコラ哲学では一般にアリストテレスを受けて、「まず感覚のうちになかったものは知性のうちにもない」という命題が人間的認識の原理として認められていた。
近世に入って、デカルトは思惟(しい)(自我)、神、延長の観念および同一律や因果性の原理などを生得観念として認めたために、ロックの手厳しい批判を招いた。他方、ライプニッツは合理論の立場から、前述のスコラの命題を承認しつつも、なお「知性そのものを別にして」と付け加えるのを忘れなかった。この生得観念をめぐる論争はいちおうカントの批判哲学によって止揚された、というのが哲学史の常識である。しかし近年、この論争はチョムスキーによって提起された自然言語の習得の問題として、新たな脚光を浴びている。
[坂井昭宏]
https://kotobank.jp/word/生得観念-86304
この常識という表現が微妙nishio.icon
カントのロック批判~先験的対象と実体の議論を巡って(PDF)
哲学史的常識においては,デカルトに始まり,ロック,バークリ,ヒュ-ムと解決策が講じられるが,いずれも失敗に終わった,とされている.そして,カントの経験説もまたそうした哲学史的常識にもとづいて解釈されてきた.例えば,その代表者として-ンリー・アリスンがいる.アリスンは,カントの経験説をロックの観念説の再解釈として捉え,カントの経験説にとって軽視されてはならない「先験的対象」の概念をロックの「実体」と重ね合わせにした.
本稿の意図は,カントのロック解釈(批判)を明らかにすることを通じて,カントの批判哲学の立場を明らかにすることにある.そのためにまず初めに,哲学史的常識の立場に立って先験的対象を解釈したアリスン説を概観する.その次に,アリスン説の問題を指摘し,カントの先験的対象概念がロックの実体概念と重ね合わせにされないことを確認する.最後に,それを踏まえてカントのロック批判の検討を通じて,カントの批判哲学の立場が明らかにされる.
アリスンの解釈ということか
アリソン(1937年~)は、カントの三批判書それぞれについて大部の研究書を出版し、その後それを補う研究書をいくつか出版しており、アメリカにおけるカント研究の最重要人物である。
http://japanische-kant-gesellschaft.org/data/kant20/16_shohyo_irie.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sbp/29/0/29_2006_049/_pdf/-char/ja
心理学だと経験主義がめちゃくちゃ強かったけど、白紙じゃなくて塗り絵ですよねっていう流れになりつつある印象mtane0412.icon
学習は中立なようで連合選択性がある
味覚嫌悪条件づけ
表記揺れ
生得概念
軽く検索したら観念の方がメジャーっぽいのでタイトルを変更したnishio.icon