死せる孔明生ける仲達を走らす
史実
三国時代、敵対していた蜀と魏の戦いの一つである五丈原の戦いの最中に、蜀の丞相である諸葛亮が病没し、蜀軍は撤退した。習鑿歯の『漢晋春秋』によると、魏の大将軍である司馬懿は撤退する蜀軍を追撃しようとしたが、蜀軍が反撃の姿勢を見せたため退却した。その事で人々はこれを揶揄して「死せる諸葛、生ける仲達を走らす(死諸葛走生仲達)」と言った。ある人がこの話を司馬懿に報告すると、司馬懿は「私は生者のする事は推し測れるが、死者のする事は推し測れない(吾能料生、不能料死)」と答えたという。 『三国志演義』では
星占いにて大きな星が落ちるを見た司馬懿は諸葛亮が死んだと判断し蜀軍に攻め込んだ。しかし、生前に諸葛亮が作らせた彼の木像を見て肝をつぶし撤退した。