司馬懿
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司馬 懿(しば い、拼音: Sīmǎ Yì、179年 - 251年9月7日)は、中国後漢末期から三国時代にかけての武将・政治家。魏において功績を立て続けて大権を握り、西晋の礎を築いた人物。字は仲達(ちゅうたつ)。西晋が建てられると、廟号を高祖、諡号を宣帝と追号された。『三国志』では司馬宣王と表記されている。 クーデター
正始10年(249年)1月6日、曹爽が曹芳の供をして曹叡の墓参りに行くため洛陽を留守にした機会を見計らって、司馬懿はクーデターを起こす。司馬懿は郭太后に上奏して、曹爽兄弟の官職を解任する令を得た。司馬懿は司馬師・司馬孚に洛陽の宮城を制圧させ、郭太后の令を用いて高柔・王観に命じて洛陽の曹爽・曹羲の陣営を制圧し、洛陽を制圧した。司馬懿は蔣済とともに洛水の岸辺に布陣し、免官するだけだと曹爽を説得して、戦わずして降伏させた(高平陵の変)。司馬懿は丞相の地位を打診されたが、これを固辞した。曹爽本人やその一族に対しては、食事の買い出しすら出来ぬほどの監視下において軟禁した。しかし、1月10日、曹爽らに謀反の企みがあったとして、結局は一族郎党皆殺しにした。また、曹爽の腹心の何晏・桓範らを一族と共に処刑した。