止観
止を観の準備段階とする。
この止と観とは持戒とともに仏教徒の重要な実践とされ, また止と観とは互いに他を成立せしめて不離の関係にある。 --- ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「止観」の解説
日本大百科全書(ニッポニカ)「止観」の解説
天台智顗(ちぎ)は全仏教の禅観を止観に統摂し天台観法(かんぼう)とした。 止とは精神を集中し心が寂静(じゃくじょう)となった状態をさし、 原始仏教以来用いられ、止と観とは互いに他を成立させる不離のものである。 智顗は円頓(えんどん)、漸次(ぜんじ)、不定(ふじょう)の三種止観を説く。 円頓とは最初から最高の境地に取り組む坐禅(ざぜん)と観法の仕方で、
不定は適宜に両者を用いて効果をあげようとするものである。
これらの実践法を通して深遠の仏教哲学を論じたものが智顗の『摩訶止観(まかしかん)』10巻である。 そこでは、止観は言語や思慮を超越したものであるが、種々の方法によって説かれ、その観法は空観、仮観、中道観の三観を基調とするが、観法の対象を10種に分け、またその心のとらえ方を10種に分類して示し、あらゆる存在や思想を観法の対象とする。入門書に『天台小止観』1巻がある。 inajob.icon
止→観
編み物だと観までいけなそう
スーパー銭湯では観まで行っているのだろうか・
これ「観」っぽさあるnishio.icon
全くそういう意識を持っていなかったinajob.icon
「クレバーという単語を選ぶ」という行動の後で「自分はクレバーというよそよそしい単語を選んだな」と気づいているnishio.icon
この気づきの後に「なぜ自分はよそよそしい単語を選んだのか?」と考えていくと「観」っぽさがある
もし自分で「あれ?いま自分はYes/Noの問いにYes/Noでない回答をしたな?なぜだろう?」と考えてたら「観」っぽさがある