朝に紅顔ありて夕べに白骨となる
この世をわがもの顔に誇る若者の血色のよい顔も、たちまちに白骨となって朽ち果てる。生死の計り知れないこと、世の無常なことのたとえ。
[解説] 「和漢朗詠集」の藤原義孝の詩の一節「朝に紅顔あって世路に誇れども、暮に白骨となって郊原に朽ちぬ」によることば。
朝に紅顔ありて夕べに白骨となる(あしたにこうがんありてゆうべにはっこつとなる)とは? 意味や使い方 - コトバンク
朝の読みは「あさ」ではなく「あした」であることに注意
作者自身も疱瘡により21歳で没しているcFQ2f7LRuLYP.icon
和漢朗詠集 - Wikipedia
朝(あした)に紅顔(こうがん)あって世路(せろ)に誇れども
暮(ゆふべ)に白骨(はくこつ)となつて郊原(かうぐゑん)に朽ちぬ (義孝少将)
巻下「無常」に収載。少将藤原義孝の七言詩の一聯。原文は「朝有紅顔誇世路 暮為白骨朽郊原」。
曽我物語「少将出家の事」にも引かれる
cf. 白骨 (御文) - Wikipedia
浄土真宗本願寺八世蓮如が撰述した御文の5帖目第16通「白骨」(はっこつ)は、御文の中でも特に有名なものである。存覚の『存覚法語』を基に作られている[1]。
タイトルに関連する箇所の原文
サレハ 朝ニハ紅顔アリテ夕ニハ白骨トナレル身ナリ ステニ无常ノ風キタリヌレハ スナハチフタツノマナコ タチマチニトチ ヒトツノイキ ナカクタエヌレハ 紅顔ムナシク變シテ 桃李ノヨソホヒヲウシナヒヌルトキハ 六親眷屬アツマリテナケキカナシメトモ 更ニソノ甲斐アルヘカラス
意訳
それゆえに、朝には血色の良い顔をしていても、夕暮れには白骨となる身であります。もはや無常の風が吹いてしまえば、たちどころに眼を閉じ、一つの息が永く絶えてしまえば、血色の良い顔がむなしく変わってしまう、桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、すべての親族・親戚が集まって嘆き悲しんでも、どうする事もできません。
はだしのゲンで読んで、比喩でもなんでもない現実とともに提示されるインパクトとともに強烈に記憶に残っているSummer498.icon
諸行無常