日本的文化のカウンター
(のりしろ)
まあ物を大事にしろ系には昔からよく絡まれてきたこともあり普通にうるさいなーと思う
ものを大切にする日本文化への反発みたいなものはありそう
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日本的文化を押し付けられた人々がそれとは逆の思想を持っている?
そのような人が近年増えている?
文化は人から人に継承されていくものだが、継承そのものに反発が生じる内部構造があるとしたら、逆説的でおもしろい話だ、てきなはるひ.icon
物を大切に
世間体を気にする
カウンターまで考察できていない・・inajob.icon
日本的文化を押し付けられた事例
って、何があるの? suto3.icon
日常生活でも、もったいないとか、皆がやってる・やってないみたいなのがあるなーという程度の話を想定していましたinajob.icon
それって、文化を押し付けていることになるんですか? suto3.icon
親や教師が子供のしつけなどで使うことをイメージしていましたinajob.icon なるほど、しつけですか… suto3.icon
戦中捕虜が木の根を食べさせられたとか?takker.icon
そういうことではないか
埴谷雄高は日本の植民地時代の台湾に日本人として生れて、いろいろ体験し、日本嫌いになったらしいイタロー.icon できればその「いろいろ体験」を詳しくお願いします suto3.icon
インタビューとかで語ってたと思うので、出典確認してあとで書きますイタロー.icon
そのため、姉も僕も台湾で生れたんです。当時の台湾人の数はおそらく日本人の何十倍だったとおもいますが、日本人が威張っていて、例えば人力車に乗ったとき、台湾人の車夫の後頭部を蹴って、そっちへ行けといったことをするんです。子供ながらに、そんなことを見ると耐えられませんね。僕はだんだん日本人全体がいとわしくなって、自分が日本人であることもいとわしくなってきた。まだ子供の頃に、自殺といった考えがぼんやりとでも起るのは珍しいことですが、ぼくは日本人ぎらいになって物静かな黙った子供になってしまった。島尾君と同じように相馬地方で生れ、そこで育ったのなら、もっと日本の自然の美しさや季節の移り変りの微妙さを感じとって、日本という国土への自然な愛着も日本人への自然な愛情も育くまれたに違いないのですけれど、僕はどうやら異端として育てられてしまった。ニヒリズムはどうやら生得ふうなかたちで育てあげられてしまった。 ふむ、100年くらい前の話ですねsuto3.icon
はいイタロー.icon
いわゆる「日本的文化」に疑問を持つ立場から
日本的文化とされるものは政策的に作られたものではないか
日本的文化の評価を日本びいきの視点でしていないか
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明確に日本的文化を押し付けられたというわけではない
押し付けられたから反発したい、というよりかは、別の理屈で逆の考えを持つに至った、という感じ
日本文化全般に反発しているわけではなく、特定の考えについて
ご飯を残さない:無理してまで食べる人を見ると残すか持ち帰りできるか聞くかしたほうがいいじゃん、と思う
経済の授業で、食べ放題で食べすぎると効用がマイナスになるというのを聞く&同意して、そこまでする必要ないじゃん、と
食糧事情が変わればまた考えは変わるだろうけど
ものに命が宿る(から大事にしなければならない):ものはものじゃん、命が宿るから大事にするんじゃなくてメンテナンスをきちんとしてそのものの寿命まできちんと使えるのが一番いいじゃん、いつまでも使おうとしなくていいじゃん
これ今ものに命が宿ると思っている人は多くなさそうなので若干藁人形論法になってる気がする sta.icon
1 面倒くささや茶番感を感じて嫌になる、気持ち悪くなる
2 人と違うことしてる俺カケー
3 勉強してるので視点がメタになる
1+2+3により抗いたくなる
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苦手なことを強要されたらカウンターしたくなる
日本文化か否かに関わらず
カウンターというか、ただの悲鳴
「君たちにとっては簡単なことかもしれないが、僕にとってはもう辛いんだ!」
例えば、コミュ障が「世間体を気にする」ことを強要されるとか
コミュ障というより「世間体」なるものが良く読み取れないとか人の心が読み取れないとかそういう感じの人
関連
グローバル化(アメリカ化)