年齢の上下で態度を変えるのは合理的
細かい注釈がつくが、大まかには年齢の上下で態度を変えるのは合理的
この結論に至るまでの議論を整理するのが面倒くさい……Summer498.icon
横道にそれる要素がいっぱいあるから
背景
SNS の運用の初動っぽいことをしていた。
そのまま呼ぶと長いのでブロック対象は「敵」と呼ぶことにする。
機械的にブロックしていくと「敵」は有限でいつかは尽きることが分かった。
数学的に有限という意味ではなく現実的にブロックし尽くせるという意味で有限という意味だ。
この作業により恐らく500人から1000人程度をブロックした。
ショートカットを利用してブロック作業がキーボードのみで行えるようになった。
同様に、キーボードのみで「いいね」をつけていくことも可能だと気づいた。
これにより効率的にフォロワーを増やすことができることに気づいた。
いいねした人をフォローする旨を呟いているポストにひたすらいいねをつけていく作業をする。
この作業はキーボードのみで行える。
そして、相互フォローを募集している人をフォローする。
この作業はキーボードのみでは行えない。
「敵」をブロックしてあるため淡々と機械的にいいねやフォローをしていっても、誤って敵を呼び込む確率は少ない。
また、ブロック作業で目利きができるようになっているので、フォロー作業中に「敵」が目に入った時に即座に操作を切り替えてブロックできる。
大量のポストをいいねしたり大量のアカウントをフォローするのは、まるでスパムのような行動だが、無名から始めるSNS運営の初動の最適解に近い行動だろう。
無名から始めるSNS運営の初動の最適解に近い行動なのは、そもそもフォロワー数がなければ運用が始まらないからだ。
そして、スパムは内容のないポストをしたり、「敵」のような行動を取るから迷惑すなわちスパムなのであって、フォロワーを増やそうとする行為自体は咎められるべきものではない。
この作業を行った所、今日だけで84人フォロワーが増えた
次に、私のアカウントを育てる――すなわち、フォロー・フォロワーとの関係を構築する――には、リプライで積極的に絡みに行くのが良いだろう。
ここで立場として上下を設けるが、その基準については後で述べることにする。
常に下の立場として話せば良いわけではない。
アカウントが成長していくと、どう見ても上の立場になるのに下から目線で話しかけに行く状況が発生する。
そのようなことをすると運用上不必要な困難を生じうる。
所謂「ナメられる」という状態になると、円滑なコミュニケーションが阻害される。
ナメてきた相手を敵とみなしてブロックするのは得策ではない。
自分の行動を変えてもどうにもならないであろう人達を「敵」としてブロックするに留める。
「敵」の定義は、彼らへの対応について運用でどうにかできる方策が立てられるのであれば適宜縮小すべき――すなわち寛容であるべき――だ。
つまり、多くの人数と関わらねばならない人が上の立場であり、少数とだけ関わっていればいい人が下の立場である。
立場が上の人への対応と、下の人への対応を切り替えるとどちらの立場の人とも円滑にやり取りでき、交流の幅が広がる。
常に上の立場として話すのは良くないし、先に述べた通り、常に下の立場として話せば良いわけではない。
ここで、立場の上下を一生の中で変動するものにすると、立場が入れ替わった時に振る舞いが変動することになる。
元々上の立場の相手が、下の立場になり自分の振る舞いがそれに応じて切り替わった場合は、調子に乗っているといった類の反感を生む。
元々下の立場の相手が、上の立場になり自分の振る舞いがそれに応じて切り替わった場合は、当惑を生む。
逆に、立場の上下を一生の中で不動のものにすると、立場の入れ替わりは生じないため、ややこしいことにならない。
一生の中で不動のものとして生年月日を選ぶと様々な利点がある。
まず、上下の判断をするのが簡単である。
判断の際には、相手の生年月日と自分の生年月日、すなわち数量を比較すれば良いだけである。
大まかに年齢が上の人ほど関わる(関わった)人数が多くなるため、多くの人数と関わらねばならない人が上の立場であり、少数とだけ関わっていればいい人が下の立場であるとの基準に沿う。
大まかに年齢が上の人ほど経験が多くなり、本当に尊敬に値することが期待される。
上の立場の人が本当に尊敬に値する場合、すなわち恭しく扱っている様子が周りから見ても不自然ではない。
振る舞いについての補足
自分の立場が上だからといって、
上から目線になっても良いわけではない。
傲岸不遜な振る舞いをしても良いわけではない。
自分の立場が下だからといって、
卑屈になればよいわけではない。
相手の要求をすべて飲む必要はない。
どちらであっても気品ある振る舞いをしよう。
自分は大昔に、これとは反対に「人は、上下関係を問わず対等な目線で、毅然とした態度で対応すべき」という結論を出したのだが、もうどのような思索を経てその結論に至ったのか忘れてしまったなwho.icon
人間の意見が等しく扱われることに重点が置かれていたと思う
そのおかげか目上の人に好かれるのが下手な人間になってしまった…
福沢諭吉『学問のすゝめ』
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。【…】されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。 思い出せないのでLLMに食わせてみよう
言動が幼い人(拙い人)はSNSでたまに見かけるMijikko.icon
このまま社会出てたら干されてるだろうな…って印象の人
VTuberや配信者が結構ここのイメージがあるsta.icon
雑談配信とか聞くとびっくりすることが多い(そこが面白くて愛しいのだけど)
似たような話を井戸端に投げようと思ったら既にあったnyarla.icon
年齢で人を測るのは是か非か、みたいな話を書こうとしていた
個人的には「年齢の上下のみ」で態度を変えるのは良くないような気がしている
むしろ、そこは「年齢の上下のみ」ではなく「人としての成熟度」で測った方がいいのでは?と言う印象
「人としての成熟」には年齢とかは関係なくて、「この人を師として仰げるか」みたいな視点
自分が「未熟」であるなら下に付くのが妥当だし、相手が未熟なら上として事を示すのが妥当だと感じる
私事を話すとnyarla.iconは自分のことを常に未熟だと感じているので、敬意を以って下に付く方を選びがち
年齢から考えると上につくべき文脈が増えているのだろうけど、それに値する経験などが全部欠けている
その姿勢そのものが尊敬に値するSummer498.icon
また人生の諸々からこぼれ落ちてきた都合上、背負うべき責任を到底果せないという自己判断もある
とは言え年齢相応に背負うべきものは背負え、という話があるのは当然だと思う
例えば藤井聡太さんは著名になり始めた(未成年だった)頃から、その立ち振る舞いは非常に成熟したものだった あそこまで成熟した人を私は周囲で見たこともないな、とその当時は感じた
むしろアウトレイジしている層は、人としてどうなの?という人も結構居る印象がある
類似する話として、社会の上下関係は人間としての上下ではなく、役割と責任の違いである、というnyarla.iconの視点もある
社会の上下関係を「人としての」上下関係と見做す人は多いけど、実際に違っているのは役割と背負うべき責任
立場が上の人ほど「背負っている責任」が大きくなるし、下の方へは背負うものは少なくなる
また上の立場と下の立場で果すべき役割も違っていて、この辺り、年齢はまったく関係がない
例えば教職員とかについても言えることだけど、定時制の高校などでは年上の生徒や年下の先生が普通に居る
nyarla.iconもN高に在籍していた時は担任が同い年だったこともあった さらに沖縄へスクーリングへ行ったら先生が年下ということもあった
とは言え自分は生徒なので、そのように行動した
こういう経験のほうが良い経験なのかもしれないSummer498.icon