平等の呪い
そもそも平等であるべき、なんてことはない
人間の右手が左手に対して、サボっている、とかになることはない
「平等だけど全員キャパオーバー」も「平等じゃないけど全員が無理のない状態」もあると思っていて、ぼくは「平等かどうか」よりも先に「キャパオーバーな人はいないか」を気にすることが多いですね juneboku.icon うちの家事負担はぜんぜん平等じゃないし平等を目指してもいないけれど、別になにも問題なく運用されています juneboku.icon
/vim-jp-emojis/iihanashi.iconinajob.icontakker.iconsta.icon
育児の話は夫婦のキャパを合わせてもキャパオーバーしてる例が多そうですね・・inajob.icon
示唆に富みますtakker.icon
母が家事の殆どをこなしている反面、自分が何もしていないのがいつも後ろめたいのですが、そもそも平等であるべきという考え方が正しい訳では無いですね
自分より多くのことをこなしていても、キャパオーバーを起こしていないならその人にとってはなんてことないこと
我が家は「平等じゃない、オッケー!」と合意を取っていますが、平等じゃないことに強い不満を覚えるケースもあるので、確認するにこしたことはないと思います😊 juneboku.icon
ありがとうございます。実は以前母に確認してみたら、全然気にしてないとのことでしたtakker.icon
とはいえ後ろめたさはほんの少しどうしても感じてしまうので、自分のキャパがオーバーしない範囲で手伝おうと思います!
他人がどう思っているかわからないから、定期的に話して決めるしかなさそう基素.icon