工学研究に人間学的ドグマを見出してしまう
旧title: タイトルわからんのでわからんまま書き始める
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from 2026/06/04
これを読んだterang.icon
「一歩引いて見る」ことで議論は変わる – Global Research Center (GRC) 早稲田大学 研究活動
Effects of Embodied Self-Distancing in Virtual Environments on Group Decision-Making | Proceedings of the 2026 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems
最初の引っかかり。
発表のポイントのこの文章
つまり、バーチャル空間における三人称視点は、感情的結びつきの認識に多少の代償を伴いながらも、グループをより円滑で合意形成しやすい意思決定へと導き得るといえます。
代償?
研究の意義と今後の展望のこれにも似た違和感
議論が加熱し対立が深刻化した局面では三人称視点を導入し、冷静な思考を促します。反対に、議論が停滞したりメンバー間の結びつきが弱まったりした局面では一人称視点に切り替え、活発な参加や情動的な近接性を回復させます。このような視点制御をAIによるファシリテーション支援と組み合わせることで、より柔軟で効果的な議論運営が可能となることが期待されます。
「議論の円滑な進行」と「感情的な加熱」を、トレードオフ関係に捉えているような印象を受ける
だから当初も「代償」に引っかかった
でも誤った二項対立みたいな話でもない気がする
例えば感情的に「加熱」したがゆえに、その議論が「円滑に」進行した、と何人かが認識する事態もあるのではないか? むしろ(蓋を開けてみれば実は)そういう事態の方が多いのでは?
あるいは、どういうことがその集団に起こっていたか(グループプロセス)は、一人一人異なり評価しがたくないだろうか
論文を読むと、Metcalfe&Mischelのhot/cool systemがベースか。
カーネマンぽいやつだ(カーネマンの方が全然後だけど)
議論中の「誘惑」は、マシュマロの食べたさと同じ質感のものなのか?
discussionが主眼ではないか。タイトル通り、目的はdecision-makingだろう。
「共感」の扱い。(これは2つ目の引っ掛かりなのか、上と地続きなのかまだ言語化できず)
自分が共感できたか?のインタビューがデータ
相手が共感してもらえたと感じているか?のデータはない
Networked Minds Social Presence Inventoryがmeasures
工学的に考えるために間主観的な指標を一旦使わないのはしょうがないような気もするけど、意見の推測は答え合わせをしているという点で、えーみたいな印象をもったっぽいな
「意見」は推測と本心の一致を測っているのに、「感情」はモノローグだけを指標としている、この非対称性はどこからきたんだろう?という(研究への批判というよりかは個人的な)疑問
(なんか急に雑になるけど)感情や情動を、排除すべきもの(正しくないもの、抑制した方がいいもの)として処理しているかのようなものを自分が勝手に見出しちゃった、というオチなのかもしれない。
だとするとこのページのタイトルはなんだ?
工学研究に人間学的ドグマを見出してしまう
一旦これでいっとくか
まさかのフーコー的話だったとは…