大説
辞書的な立項の話cFQ2f7LRuLYP.icon
「大説」は日本国語大辞典(第2版)や新撰漢和辞典・字通をはじめとしたジャパンナレッジの辞書群に全く見当たらない
見出し・本文ともに有効な例がないcFQ2f7LRuLYP.icon
おお、日国に無いとは……Summer498.icon
もちろん、これらの辞書に立項されていないことを理由に「そんな言葉はない」とは言えないcFQ2f7LRuLYP.icon
「ない」ばっかだ
けれども、文献上では確認できない語である可能性が高い
ないの証明は悪魔の証明になるからねぇSummer498.icon +1cFQ2f7LRuLYP.icon 言っている人の話
小説はなんで「小」なのかというと、実は「大説」というものがあって、これは江戸時代の教養の中心だった四書五経などの漢籍のことなんだね。これに対する振興勢力として「小説」という言葉が生まれ、小説は今の漫画やラノベ、ゲームのような扱いで、教養がない人間が読むサブカルチャーだった。
こちらの話だと「大説」は「四書五経などの漢籍」とされているが、具体的に江戸時代のどこで「大説」と言われていたのかという出典が無いcFQ2f7LRuLYP.icon そもそも「小説」自体は割と古い言葉で、漢書から存在するcFQ2f7LRuLYP.icon
日本国語大辞典の「小説」の語誌を見てみると以下の通り
1)特定のジャンルを指すものとして用いたのは、中国では(1)の挙例、班固の「漢書‐芸文志」が古い。その内容は伝説や説話の類で、とるに足りない価値のないものととらえられている。日本では(1)の挙例、平安時代初期の「日本紀私記」や「聖徳太子伝暦」などに見え、これらは「漢書‐芸文志」の流れを汲むと考えられる。 この取るに足らない価値のないもの、という解釈がもともとなので「小説はもともとサブカルチャー」と言われるのかもcFQ2f7LRuLYP.icon
取るに足らない価値のないものは「大説に対して小説」についてのSummer498.iconの認識と一致するなぁ
(2)近世に入り、唐話学の隆盛、中国の近代の文学に関する知識の浸透にしたがって、「小説」は、唐宋以降、特に明・清の白話小説を指すとともに、国文の戯作をも指すようになる。 江戸初期くらいから輸入、識字率の向上や印刷技術の発達に伴って町人らにも読まれる
(3)(2)について、novel 以外の関連する原語、fable, fiction, romance, story, tale 等に広げて考えれば、訳語としての「小説」は蘭学時代を含めて、坪内逍遙以前にもかなり一般化していた。 (4)逍遙がnovel を翻訳したといわれるのは、逍遙が、西洋の文学形態の変遷を踏まえた上で、novel を最も進んだ段階のものとして、romance などの他の文学形態と明確に区別することによって、複数の原語に対応していた「小説」をnovel に限定し、そこに近代的な概念を注入したことによる。 というわけで、上の人が言ってる「大説」に対して「小説」が生まれた、というのは違うんじゃないかと思うcFQ2f7LRuLYP.icon
「取るに足らない価値のない」書物を「小説」と指していた用例はありそうであるcFQ2f7LRuLYP.icon
近世の「小説」の用例を見ると、椿説弓張月、浮世風呂の例がそれっぽい(日本国語大辞典の用例欄より) *黄表紙・鳩八幡豆と徳利〔1786〕「頼朝一代記の小説を由井が浜にて講じけるが、少しも万八を交ぜぬゆゑ」
*読本・椿説弓張月〔1807~11〕拾遺・序「今弓張月一書、雖云小説、然引用故実、悉遵正史」
「弓張月は小説ですけど、故実を引用して全て正史に従ってます」
「取るに足りない本」だけどちゃんとしてますよ、と言いたいのだと思う
*滑稽本・浮世風呂〔1809~13〕二・序「這(この)女湯の小説(セウセツ)は、素(もと)より漫戯の書といへども」
まあ、これらをひとつひとつ見てどういう風に使われているか見ないとなんともいえないcFQ2f7LRuLYP.icon
なにか漢籍と比較して「小説」といってるかもしれないので
とはいえ「大説」を引くのであれば何らかの例を見てみたいcFQ2f7LRuLYP.icon
wikipediaでは君子が国家や政治に対する志を書いた書物の事。四書五経等がこれに当たる。が要出典になってる
文献確認しないと「さもありなん」って納得しちゃうし