以仁王
もちひとおう
幼少から英才の誉れが高く、学問や詩歌、特に書や笛に秀でていた。母の実家は閑院流藤原氏で家柄も良く、皇位継承において有力候補であったが、異母弟である憲仁親王(のちの高倉天皇)の生母であり権勢を誇った平滋子(建春門院)の妨害に遭って阻止されたという(『平家物語』。ただし、史実として裏付けるものはない)。 なるほどー。主力派勢力に対して報復の意図を持つ天才キャラか。小説に出てきそうnishio.icon
治承4年(1180年)4月、ついに平氏討伐を決意した以仁王は、源頼政の勧めに従って、平氏追討の令旨を全国に雌伏する源氏に発し、平氏打倒の挙兵・武装蜂起を促した。 お、この時点では29歳か、意外と若いnishio.icon
源頼政は76歳
鎌倉殿の13人ではここの部分しか描かれてなかったから詳しく知れて嬉しいteyoda7.icon もちもちしてそう