二人称代名詞「あなた」に関する調査報告
長いけど面白かったnishio.icon
要旨
話者の使用意識
聞き手の社会的立場が上の場合は「あなた」はほとんど使用されない 対下位者・対同等者の場合でも「まったく使わない」という回答のほうが多い
「あなた」の使用は、相手との社会的関係によってよりも、状況や場面によるところが大きい
「あなた」に焦点を絞った理由
1. 最も一般的な二人称代名詞のようでありながら、使いにくく、なぜ使いにくいのかも説明しにくい
2. 辞書に定義の違いが見られる
「敬意があるとするもの」「敬意がないとするもの」「従来は敬意があったが、近年それが薄れたとするもの」(陣内, 1998)
「あなた」はフォーマルな言葉だとするものもあれば、逆に失礼なニュアンスが伴うというものもある
背景と先行研究
「あなた」の歴史的な遷移(辻村, 1968; 鈴木, 1973; 李, 2002; Ishiyama, 2008)
もともと遠くの場所や方向を指す指示詞
直接性を避け、間接的にその場所にいる人を表現するという用法を持つようになる
高い敬意を表す人称詞に転化した
その後、あなたの敬意は下がってきたと言われる(鈴木, 1973; 陣内, 1998; 橋口, 1998; 三輪, 2005)
先行研究の主張の違い
フォーマルな人称代名詞(Lee, 1976; 谷, 1981; Shibatani, 1990; 金丸, 1997)
男女ともにフォーマルな場面で使用される(金丸, 1997)
女性はフォーマルな二人称詞としての「あなた」をより多く使用しがちで、それは女性の隷属的立場を示唆している(Lee, 1976; 谷, 1981)
失礼なニュアンスが伴い、特に目上や立場が上の人には使いにくい(鈴木, 1973; 田窪, 1997; 金井, 2002, 2003; 三輪, 2006)
人称詞使用の社会言語学的規範(鈴木, 1973)
例えば家族の中では、両親、祖父母など目上の相手に対し、普通は親族名称を使用し、人称代名詞を使うことはできない
この法則は家族外の社会にも適応される
立場が上の相手に対しては「先生」や「課長」などの地位名称を使うことが普通
なんか逆に思っていたmtane0412.icon
「あなた」というときその場に存在している人間を直接参照しているということか
「Aさん」というとき、「Aさん」という概念を参照している
遠回りで敬意が増すのはこちらなのか
なるほどnishio.icon
僕は「議論がもつれたから整理しよう」と思ったときに、登場人物それぞれを直接指すために「私」「あなた」を使ったが、それは「直接指す」ことによって敬意が減少するのか
納得感のある説明
「あなた」は「ある話題に関して、話し手が聞き手より、認識的に優位であるというスタンスを持っている際に使われる」
特に話者が、判断・評価・決断を下す立場にあるとき、それを受ける側に対して使用される場合が多い
こういった認識的優位性の示唆が、「あなた」に「上から目線的」で「威圧感のある印象」や「冷たく相手を突き放すような」ニュアンスを与える
調査
要旨
考察
先行研究で言われてきたように「あなた」は失礼さが生じる一面と、フォーマルだと認識される一面の両方がある
さらに少数ではあるが、親しすぎると感じられる回答も確認された
これらの感覚は一見違う感覚だが、すべては回答者からの自由コメントにしばしば記された「違和感がある」という言葉とつながるのではないだろうか
どのようにあなたを定義づければいいのか
仮に「あなた」がフォーマルな語であるとする
距離を作る感覚は説明できる
説明できないこと
対上位者になぜ失礼になるのか
ある時はなぜ親しみを込められるのか
「あなた」は同等者や下位者を指すための言葉だとする
なぜある場合にはかしこまりすぎて突き放すように感じられるのか
筆者は「あなた」の本質的機能とコンテクストが接するところに生み出される副産物であるとする立場
「あなた」が不特定多数の人を指す場合、この「あなた」は話者と聞き手の上下関係を表示せず、「無色」になる(森田, 1989)
筆者は現代語のあなたの本質が無色なのだと考える
対話者の社会的要素を表示することなく、話者が聞き手である二人称を絶対に的に指し示す語
引用の中でのimpersonalな「あなた」の用法なども、この言葉が社会関係非表示の性質を持つ証拠として指摘されている(米澤, 2014)
無色の「あなた」は英語のyouのように一般的な二人称詞と捉えられてしまうこともある
国語審議会は1952年の建議『これからの敬語』で「あなた」を「標準」の二人称詞と定義し、物議を醸した
日本語コミュニケーションにおけるわきまえという枠組み(井出, 2006) 「社会的にこれはこういうものだとして認められているルールにほとんど自動的に従うことを意味し、それは言語行動についても非言語行動についても言えることであって、これをひとことで言い直すと、期待されている基準に従うということ」 例) 教師や医者、政治家などを「先生」と呼ぶこと
その人を尊敬しているのではなく、「そのようにするものだから、呼ぶというもの」
井出は、ポライトネスが話者の意志に基づくストラテジーという考え方は日本語のコミュニケーションにはそぐわず、日本語のポライトネスには「そうするもの」という儀礼的な側面が大きいとした
エヴァンズは人間の言語使用において「話者は、他の言語であれば無視してもいい世界の断面に常に注意を払わなければなら」ず、それこそが言語に独自の心理的枠組みと関係していると述べた 人称詞の使用にも社会の中で「そのようにするもの」という原則がある
親しい間では名前やニックネームで呼び合ったり、男性がインフォーマルな場で「俺」「お前」を使用したりすることも含む
ここでは社会的関係性を「表示すること」が原則
無色の「あなた」は日本語のコミュニケーションに不可欠な社会関係表示の原則にそぐわない
アンケートや広告などでは「あなた」の使用は違和感を生み出さないが、それは関係表示が必要ないから
このような「あなた」の使用は、与えられた社会関係を無視する・断ち切る役割をし、それが異なる社会関係や場面で、異なった意味合いを帯び、異なって認識されることになるのではないか
上司や教師に対して普通の会話で「あなた」
関係表示の常識を無視する役割をし、「わきまえ」に反し「失礼」になるだろう
喧嘩腰ならあえて「あなた」を使うかもしれない
師弟関係を断ち切って愛の告白をしようとするならば、生徒が教師に「あなた」を使うかもしれない
社会関係を断ち切る役割は同じでも、距離を縮め「親しみをこめる」言葉として認識されるだろう
親が子どもをいつも名前で呼んでいるのに突然「あなた」に切り替える
かしこまった感じや、突き放した感じを与えるだろう
通常の関係を一旦断ち切ってそういった瞬間を作ろうとすることにも納得がいく