ルサンチマン
強い者は「悪い」、強くない私は「善い」、という屈折した価値評価
ここに私はって入ってるのが絶妙にいい味出してるSummer498.icon
ニーチェはキリスト者のエゴイズムを指摘している久住哲.icon
「魂の救い」――とは、ありていに言えば、「世界は俺を中心にして回っている」、ということなのだ。(アンチクリスト)
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「力を持つ者は悪、力を持たない私は善」
「知識を持つ者は悪、知識を持たない私は善」
--- from /unnamed-project/「衒学的」って言葉、衒学的だよね
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ニーチェは,強者の君主道徳と対比して,弱者の奴隷道徳は強者に対するルサンチマンによるものだとした。彼によれば,元来道徳の根底には生命の根源からくる力強さがあるが,弱者は強者に対する反感をもち続け,一般の既成道徳を生じさせるとした。
知恵蔵
ニーチェのキリスト教批判における中心概念で、「恨み」や「妬み」を意味する。『道徳の系譜』(1887年)において、ニーチェは、キリスト教の起源をユダヤ人のローマ人に対するルサンチマンに求め、キリスト教の本質はルサンチマンから生まれたゆがんだ価値評価にあるとした。
被支配階級であるユダヤ人は、支配階級であるローマ人の力強さ、能動的に生を楽しむこと、自己肯定的であることに対して恨みや妬みを抱き、このルサンチマンから、強い者は「悪い」、強くない私は「善い」、という屈折した価値評価を作り出した。
この価値の転換はさらに屈折の度合いを深め、「貧しき者こそ幸いなり」ということばに代表されるような、弱いこと、欲望を否定すること、現実の生を楽しまないことこそ「善い」とする価値評価が生まれ、最終的にキリスト教の原罪の考え方、禁欲主義、現世否定主義につながっていった、とニーチェは考えた。
逆にこれがあるからキリスト教が広く信仰されていったのかもしれないSummer498.icon
人数の多い弱者にとって耳障りが良い
統治する側にとっては弱者が弱者のままで居てくれるから嬉しい