ユロージヴイ
「フリスター・ラージ・ユロージヴイ(キリストのためのユロージヴイ)」と呼ばれることもある。また「ユロージヴイ」は男性形であって、女性形は「ユロージヴァヤ」という。ロシア正教における苦行者の一種で、この中から多くの聖人が生まれた。日本では「佯狂者」「聖愚者」「聖痴愚」「瘋癲行者」など様々な言葉に訳されている。
佯狂者 - Wikipedia(読みは「ようきょうしゃ」)
瘋癲は「ふうてん」と読む
ふう‐てん【×瘋×癲】 の解説
1 精神の状態が正常でないこと。また、その人。
2 通常の社会生活からはみ出して、ぶらぶらと日を送っている人。
瘋癲(ふうてん)の意味 - goo国語辞書
「フーテンの寅さん」は上記2番目の意味であろう
神がかり行者というのを『カラマーゾフの兄弟』で見たcFQ2f7LRuLYP.icon
ごく大雑把にまとめるなら、ユロージヴイとは常人のような知性を持たぬ痴愚者として生き、その生き方自体を神に近づくための苦行とする人々のことである。もともとはビザンツの伝統を汲む存在であるが、とりわけ中世のロシアで流行し、その中から多くの聖人を輩出した。ただし、ユロージヴイが実際に狂える者であるのか、あるいはそのように装っているだけなのかはどうもよく分からない。日本語訳の不統一(「佯狂」と「痴愚」)も、ユロージヴイ理解の難しさを物語っている。実際には様々なケースが存在したのではないかと思う。
常軌を逸してみえる者が、実際に狂える者であるのかどうか?に関連して徒然草の「 狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」を連想する
「何らかの"障害"をもつ人が特別な力をもつ」という考え方が(それが妥当かどうかはともかく)存在するが、仙台四郎が有名な例か?
仙台四郎 - Wikipedia
cf. 創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで(講談社選書メチエ)
いずれにせよ、ユロージヴイたちは社会の中にあって社会と交わらず、一切の財産を持たず、裸や裸足、あるいは苦行のため鉄の首輪・鎖を身につけるなど、特異な姿で生活していた。列聖されたユロージヴイの中でも特に名高いヴァシーリー・ブラジェンヌイは、イコンの中では常に裸で描かれているが、これはユロージヴイの象徴なのである。そうしてユロージヴイたちは、明らかに常軌を逸した言動を続け、時には権力者に対して無礼な振る舞いをする場合さえあったが、しかし彼らを咎める者はなかったという。ユロージヴイは狂者として社会の埒外にあり、それ故に常人が守るべきあらゆるルールから自由であった。
ちょっとキュニコス派(犬儒派)を連想する(キュニコス派)
両者に何かつながりがあるのかどうかは調べていない
宮廷道化師もこれに近いものがある?
中世ヨーロッパにおける障害者 - Wikipedia
そればかりでなく、ユロージヴイは大いなる神聖さを身にまとった者として、人々に敬われる存在であった。ユロージヴイはしばしば予言や奇蹟を行ない、人々に救いの手を差し伸べ、あるいは警告を発した。つまりは人間でありながら半ば人間を超越した、神に近い存在として認識されていたのである。列聖されたユロージヴイたちの聖者伝は、彼らが生前あるいは没後になした様々な奇蹟についての記述で満ちている。
ユロージヴイについて
聖痴愚の系譜 - 団塊亭日常
このブログの主張するところでは
遠藤周作のいくつかの作品に登場する人物(省略)
「海辺のカフカ」(村上春樹)のナカタさん
映画「道」のジェルソミーナ
常不軽菩薩(常不軽菩薩 - Wikipedia)
ドンキホーテ(ドン・キホーテ)
も聖痴愚の系譜に連なるものである、らしい