ボケがどう考えているかに関わらず、聞き手は「浮いた」発言を調整(アコモデーション)しようとする
from 2024/03/01
去年の今の自分
事態や他の人が、ボケの規範に従うべきであると、ボケは考える。
ボケは「こうしなあかんがな」と言われたことに対して「ええがな」と言う?
……久住哲.iconが好きな短歌であの人のいつもの席はのこしててくれないかしら喫茶店跡という作品がある。これは枡枯井戸さんという方の短歌で、かつてうたよみんというサイトに投稿されていたものだ。現在、うたよみんはサービス終了してしまったので、もうそこで読むことはできない。
去年の今日の自分の文の定義に引っ張られた解釈をすれば、この短歌はボケの短歌であり、現実の方が自分の強い思いのほうに合わせてほしいという態度を示している。ただし、語尾の「かしら」は穏やかな様子を表すので、そこまで強い語調の短歌ではないはずだ。この歌に石頭なツッコミを与えるとすれば、「喫茶店はもう無いんだから、その席だってもう無いに決まっている。『喫茶店が潰れなかったらよかったなあ』ならまだ理解できるが、あなたは喫茶店が潰れたという事実を受け入れているのだから、そこから帰結するところの、その人が座っていた席がもう無いという事実も受け入れているはずなのに、そういったことを望むのは矛盾している」。一言でいうと、「もう店は無いんだよ」
ツッコミは、今の状況・常識・「旧来の語彙」・適切な推論などに基づいて、そこからの逸脱をたしなめるようなところがある。上のツッコミは、推論の適切さという規範に基づいて、作中主体の事実認識と願望の持ち方とのあいだに不合理な関係があるとツッコミを入れている。繰り返しになるが、店が潰れたことを認めているなら、席が無いことも認めてるはずなので、席が残るか残らないかどちらかであるという可能な状況において席が残ることを望むのだとしたら、せめて、店が潰れなかったらよかったのにという願望を持つべきだ、と。
このツッコミは的外れだ。作中主体の願望は、「最悪店は潰れたとしてもあの人の席だけは残っていてほしい」というものだからだ。これは論理的に不可能な願望だ。実際的に不可能な願望、ではない。すなわち、事実としてはもう店がなくなってしまったのに、反実仮想的に「もしも店がなくならなかったらよかったのになあ」と望むような願望ではない。論理を捻じ曲げてでも残っていてほしいのが、その席なわけだ。だから、「かしら」という穏やかな語がかすかに震えているように感じられる。語尾を「かしら」にして叫ぶ人はあまりいない。自分は少女革命ウテナに出てくる2人の影絵少女くらいしか知らない。もしかしたら、もっといるかもしれない。叫ばずに叫ぶためには、こういったギミックが必要になるのだろう。
ユーモアはコードに対してズレようとするものだと雑に読む『勉強の哲学 来たるべきバカのために』#64520cb0b8db540000eb6f2aにメモされてある。そこで、『勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版』のp91を読んでみる。そこには、他のみんなは、ズレたキーワード=「音楽」を、これまでの流れに合わせて、なんとか解釈するように強いられる。ズレを回収しなければならなくなる。と書かれていた。その後p101ページには「享楽的こだわり」という言葉が出てくる。
去年の今日の私は事態や他の人が、ボケの規範に従うべきであると、ボケは考える。と書いたが、この千葉雅也さんのテキストを踏まえると、ボケがそう考えるということは本質的なことではないかもしれないと思えてくる。すなわち、ボケがどう考えているかに関わらず、聞き手は「浮いた」発言を調整(アコモデーション)しようとする。
MANO16号 エッセイ「西脇症候群としてのポエジー」 - アメブロでは、西脇順三郎のポエジーについて書かれている。そこではポエジイはものそれ自身を発見するのでなく、ものの自然や現実の関係を破壊して、新しい予期しない関係を発見することであるという西脇順三郎の言葉が引用されている。
上の短歌で「破壊」されているのは、店とその席とのあいだの論理的関係だと言える。
では「新しい予期しない関係」は?上の短歌では、ある事象とある事象との間の新しい関係は表現されていない。そこではひたすらに、ある時期への固執の強度がレトリカルに高められていると、久住哲.iconは思う。すなわち、読者にとってはそこまでの強さの〈席への固執〉が新しい。もちろん、席という、店の要素の一部が重要なのではない。作中主体にとある椅子を持っていって、「ほら、この椅子が、あの人が座っていた椅子ですよ」と渡しても、あるいは、ある芸術家がその人のために場をこしらえて、あの時の店の様子をすっかり再現して、「ほら、この席に座ってご覧なさい。ここから見えるあの席が、あの人のいつもの席ですよ」と見せてやっても、作中主体は満足しないだろう。「あの人のいつもの席」は、『『現代思想入門』』p157〜162に出てくる「対象a」のようなものだろう。
/arpla/大橋弘さんの自転車のカゴの短歌についてまた考えるで取り上げた短歌の場合、「新しい予期しない関係」は見えてきやすい。その関係とは、あの世の葉がこの世のカゴに混入するという関係だ。
「で、何の話だっけ?」という妙な空気になるわけです。
『勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版』p92
3月に入ったら『勉強の哲学』を読もう と思っていたので、ここで『勉強の哲学』につながるのは、自分的には熱い展開。