ファルマコン
ギリシャ語のφάρμακον (phármakon)に由来する
ファルマコンとは、毒でもあり薬でもあるような両義性・多義性をもつものを指す デリダは、プラトンの中期対話篇の一つ『パイドロス』をモティーフに、古代ギリシア語の「パルマコン」という言葉を使って、脱構築を試みている。『パイドロス』の末尾では、ソクラテスがエクリチュールを批判し、パロールの優越を掲げているが、同作品の冒頭で、イリソス川を渡りながらソクラテスとパイドロスが古い言い伝えについて雑談する際に登場する言葉が「パルマコン」である。「パルマコン」は「毒」を意味すると同時に「薬」をも意味する点で、決定不可能性をもつ。この多義性は豊かさでもある。エクリチュールは文字であるから、人の記憶を保つとともに、記憶しようという意志を奪い取る。ここに、エクリチュールのもつ「薬」でありかつ「毒」のパルマコン的意味合いがある(多義性)。パロールはエクリチュールに先立って優越するといわれるが、その劣位のエクリチュールが逆にパロールを侵食している事態をデリダは暴き出す。パロール / エクリチュールという階層的二項対立は、原―エクリチュールに先立たれ、それがこの二項対立をむしろ生み出しているのである(しかしこの生み出すものは「根源」ではない)。このエクリチュールの概念は、そのまま存在に対する差延の概念に対応する。エクリチュールの海のような多様性の中から、存在―パロールが生まれいずるのである。