シェリル・ミサックがローティを批判している点は何か
シェリル・ミサックがローティを批判している点は何か
「われわれが手にすべき真理も客観性も存在せず、あるのはただ連帯や共同体における合意、あるいはわれわれの仲間がわれわれに語ることを容認するであろうような何物かだけである」以下『人類の会話のための哲学』p.38 ミサックらは「人間的探求における客観的次元を正当に評価しようとする」という
著者のまとめによれば三点。(p.38)
1. プラグマティズムの起源に遡っての正統性の主張。
2. 〈プラグマティズムはどうあるべきか〉という学術的ディシプリンとしての正統性に関わる、ある種の規範的なもの。
3. 〈現代のプラグマティストたちは何をやっているのか〉という現状認識の問題
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シェリル・ミサックらのネオプラグマティズムとローティ批判:詳細解説
1. ローティのプラグマティズム:真理と客観性の否定
リチャード・ローティは、「真理」や「客観性」といった普遍的な概念は存在せず、あるのは特定の共同体における「合意」や「仲間の語り」だけだと主張しました。これは、彼のプラグマティズムの核心的な考えです。
2. ミサックらのネオプラグマティズム:客観性の再評価
一方、シェリル・ミサックらネオプラグマティストは、ローティの考えに対して以下のような批判を展開しています。
人間の探求における客観性を軽視している
ミサックらは、真理や客観性といった概念が完全に否定されるべきではないと考えます。人間の探求には、主観的な意見だけでなく、客観的な事実や証拠に基づいた議論も不可欠です。
共同体における「合意」が必ずしも正しいとは限らない
ローティは共同体における「合意」を重視しますが、ミサックらは、そのような合意が必ずしも正しいとは限らないと指摘します。共同体内部で権力を持つ人々の意見が支配的になり、少数派の意見が排除される可能性もあります。